ERな人 VOL. 91 足立竜乙 (企画屋 / DJ)


ERな人 VOL. 91 足立竜乙 (企画屋 / DJ)

photo, text, edit by NAOKI KUZE 

 1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

ー足立さんは肩書きは「企画屋」とのことですがどんなことをされているんですか?

足立 竜乙 (以下足立): 生業としてはファッションを中心としたデザイナー業が多くを占めてはいるんですけが、デザインだけでなく商品企画もするし、グラフィックの仕事もやっていたり、色々と型にハマらずに活動をしているので自分としては「企画屋」と名乗ることが多いですね。

ーなるほど、では順番にお話を伺わせていただきます。まずファッションのデザインに関するルーツとなるエピソードを教えてください。

足立: 高校卒業後にファッションの専門学校入って、卒業後に、岡山のジーンズメーカーに就職して、メンズデザイナーのアシスタントみたいなところからキャリアはスタートしました。そこからはデニム畑で、3年弱ぐらい岡山でずっと仕事をしていて、岡山を拠点にしつつ、国内の工場も回らせてもらったり、中国の工場に行ったりもしてましたね。

ーキャリアスタートが岡山だったんですね。その理由は?

足立: 当時ファッションの業界でデザイナー職の募集枠自体がとても少なくてシビアだったんですよ。でも僕はメンズデザイナーになりたかったから色々とブランドを探っている中で前職のジーンズメーカーの募集を見つけて。当時の僕はデニムの産地に一度潜ってみた方がより専門的な知見が貯まって良いのかなと思って。それに神戸で生まれ育った当時の僕にとっては距離的にも遠いし、まだ東京に出て勝負する勇気もなかったんですよ。ただ実際にジーンズメーカーに就職して岡山の寮に入って住み込みで生活していると、僕も若かったから同級生で東京に就職した友達のことが羨ましいというか、楽しそうに見えるというか、岡山の僕が働いていたエリアに遊ぶ場所も全然なかったことも重なって、どこか悔しい気持ちはありましたね()

ー住み込みだったんですね。

足立: 社員寮みたいな感じで、風呂とトイレ共同で、寮の中に洗面台1個だけあるみたいな感じで。同期とか、先輩もそこに一緒に住んでたから、みんなで車乗り合わして、岡山市内に遊びに行ったりとかしてましたよ。ちょっとオシャレなカフェに行ったりして、そういう地方の楽しさみたいなのはあったけど、3年ぐらい続けていくと、「東京面白そうやなぁ」って気持ちも強くなっていましたね。僕の担当が、セレクトショップとかブランドさんの別注とかをやらせてもらうことが本当に多くて、頻度高めで東京には行かもらってたんです。それで当時の営業の上司が、「もうお前、そんなに東京にしょっちゅう来るんやったら、もうこっちおった方がいいやろ!東京に来る気あるんか?」って尋ねられて、僕も「めちゃくちゃ行きたいです!」って答えたらすぐに東京事務所に転勤させてくれたんです。そこから独立する30歳ぐらいまでは社員として在籍していたので78年ぐらい経験を積ませてもらいました。

ー独立を決意されたのはなぜ?

足立: 節目となる年齢でもあったし、ブランドを自分でやってみたいと思っていたタイミングで、とある会社からブランドを立ち上げさせてもらえるお話をもらったりしていたので思い切って独立しました。ありがたいことに今でも前職のジーンズメーカーとは外部契約を独立後も結ばさせてもらって今でもデザインに携わらせてもらっているんですよ。

ーファッションデザインに興味を持ったのはいつ頃だったんですか?

足立: 元々絵を描くこと自体が好きだんたんですよね。ルーツとしては僕のおじいちゃんが画家で、その娘にあたる母が児童画の先生をやっていて、絵を描くことが一般的な家庭より身近だったんですよね。だから物心ついた頃から上手いかどうかは分からないけど絵はたくさん描いてたと思います。でも特別な学校とかに進学することもなく、普通科の高校に進学して。音楽は好きなだったのでバンド活動はしてました。高2ぐらいになると将来のこととか考える時に、僕は特別頭が良いわけでもなかったし、大学に行くイメージも持てなかったんですよね。

ー色々と思い悩む年頃ですよね。

足立: 3にもなると、よく遊んでたやつもみんな予備校に通い出すんですよ。それで僕も「なんかせなあかん」って焦りもあって、美大を目指す人が通う画塾に通うようになったんです。そこからオープンキャンパスにも行ったりして。それぐらいから絵を描く延長というか、好きな音楽とかファッションも活かせる感覚があってファッションの専門学校にいきたいと思うようになって進学したんです。

足立さんがデザインをする際に愛用しているペンケースと方眼用紙

 

ー学生時代からデザイナーを志されて、実際に就職してデザイナーとして働いてきて、大変だと思ったり、ギャップを感じることはなかったですか?

足立: 今もなんですけど、デザイナーをやっていて嫌になったことは一度もないんですよ。やっぱり楽しい。「めっちゃ楽しい!」って感じではないんですけど、やっぱりファッションが好きで、絵を描くことも好きなんで、仕事もその延長線上にあるから無理せずやっていけてるのかなと思ってて。そう感じられることは自分でも良かったなと思っています。

ー独立後はグラフィックデザインも手掛けられたりされているようですね。

足立: 洋服とかもこう、ショーカードとか、下げ札のグラフィックを依頼されたり、僕はDJとしても活動しているので音楽イベントのフライヤーも依頼されることが多くて、個人的にも作るのが好きですね。だからアパレルブランドでリブランドを依頼されて取り組むときは服だけじゃなく、パッケージやフラッシャーとかに結構頭がいっちゃいますね。パッケージとしてどう見せるかっていうのは非常に大事ですし、ユーザーが手に取る、取らないかみたいな要素にも大きく関わってくると思うので。だから僕は今まで買い物してきた下げ札やフラッシャーなんかは捨てずにが参考になる物は全部ファイリングして保管してますよ。グラフィックデザインだけでなく紙質なんかも資料として価値がありますからね。

足立さんに影響を与えたり、参考にすることもあるという写真集。
ストリートフォトグラフィーや旧年代のワークスタイル、グラフィティなど足立さんの興味は尽きない。

グラフィックを手がけたアーカイブや、Red Hot Chili Peppersなどの音楽ネタや北野武の映画タイトルを手描きしたアイテムなど。

 

ー先程ちらっとお話の中で出て来ましたが、DJとしても活動されているんですね。

足立: 音楽は好きでバンドもやっていたんですけど、就職と同時に辞めてしまって、それから音楽活動は全然できていなかったんです。大人になってからまたバンドを組むのは難しいし、でも音楽は好きで心の中ではモヤモヤしてたんですよ。レコードは好きで集めてはいたんですけどDJをやろうとは元々思ってはいなくて。今から5年ぐらい前ですかね。そんな時に友人のJackieが藤沢のホテルのラウンジのイベントに誘ってくれて、その時に「BGMとして好きなレコードかければいいじゃん」って言ってくれて初めてレコードを回させてもらったのが最初ですね。

ー公共の場で自ら発する音楽は気持ち良かったんじゃないでしょうか?

足立: 初めてのDJで流した時の曲のジャンルが全部バラバラやったから今思えばホンマにめちゃくちゃで()。和モノの後にゴリゴリのハードロックかけたりしてたから()。元々アナログレコードが好きで、DJをする時もVinylなので、お陰様でレコードを買う頻度は拍車がかかりましたね()

ーレコードから現在のお仕事に影響を受けることも多いのではないでしょうか?

足立: 非常に多いですね。レコードのジャケットからはファッションだけでなく、グラフィックデザインからもとても刺激になるというか。紙媒体が昔から好きっていうのもあるんですけど、レコードって当時のクリエイターが気合入れてデザインをしていて、現代みたいにPCでデザインすることもなく手描きでデザインをしていたのですごくかっこいいカルチャーだなと思いますね。あとは自分が実際に目で見て触れてきた90年代のカルチャーはずっと大好きですね。僕の中のリアルなので。

お気に入りのレコードをほんの一部だけ見せていただいた。
自宅にはレコードのストックが山のようにあるらしい。

ー足立さんのワークスタイルのこだわりを教えてください。

足立: 仕事柄採寸する機会も多くて、メジャーは特に必要とする機会が多いのでポケットがある服は結構着ますね。あとはちょっとクライアントを意識しますね。向かう先のブランドに対して、僕が提案したいことのムード感を知ってもらうために自身のコーディネートでちょっとそのエッセンスを取り入れてみたりとか。あとは基本自転車移動なので動きやすい服装っていうのもありますね。今日のコーデでいうとスミスのカバーオールはイマ着たいカバーオールのシルエットだなって思いますね。外だけじゃなくて内側もヘリンボーンのスレキを使ったポケットで収納力もあるし、アームホールもぶっとくて着やすさとシルエットも現代のファッションにフィットしやすいですよね。本当にイマの気分だなって思います。

ー今後の展望を聞かせてください。

足立: 物作りはずっとやっていきたいんですよね。それは服でもいいし。雑貨でも良いし。物をずっと作り続けたいなっていうのは間違いなくあって。ただ、0から1っていうよりは、もはやあるものちょっとアレンジして気軽に取り組める物作りをやっていきたいなと思っていて。自分の物作りをダイレクトにお客さんとコミュニケーションをとって、気に入ってもらえるみたいなことができるといいなって思うんです。いま41歳なんですけど、50歳ぐらいになったら、もう1回ブランドを自分でやりたいなと。それも革ジャンとGジャンとジーンズだけのブランドで。今でも国内には素晴らしいタンナーさんとか、革屋さんとかさ、縫製が出来る環境が残ってるし、そんなプロジェクトをやってもらえるようになんかできたらいいなって思ってます。50歳でブランドとか良くないですか?そん時はもうちょい渋くなってないと()

レジンで固めた自作のキーホルダー。

レジンで自作したディスクスタビライザー。

 

LES HALLES JACKET / unven cord / noir

 

 

 

 

 

 

足立 竜乙 @ryuichi_adachi

企画屋 / DJ

1984年生まれ。神戸出身。大阪モード学園卒業後、ジーンズメーカーのメンズデザイナーとして活躍後、30歳で独立。独立後は様々なブランドやセレクトショップのアパレルアイテム、グラフィックデザインを手掛ける。一方でVinylでプレイするDJとしても活躍し、都内を中心に様々なハコでグッドミュージックを鳴らす。好きなジャンルはレゲエやパンク。生粋のトラキチ。