ERな人 VOL.66 北澤 里佳 (北澤書店 4代目店主)
1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。
1902年(明治35年)に創業した洋古書専門店”北澤書店”は神保町駅から徒歩すぐの北沢ビル2階にある。
ー前職はセレクトショップのSHIPSで働かれていたようですが、家業であるこの”北澤書店”の娘として生まれて、ずっと本に囲まれて育ってこられた中で、ファッションに興味を持ったのはいつ頃だったんですか?
北澤 里佳 (以下 北澤): 元々映画が好きで、高校生の頃に観た”LORDS OF DOGTOWN”っていう70年代のスケートを通じたストリートカルチャーに魅せられたのがきっかけですね。VANSを履いてスケートしているスタイルがおしゃれだと思ったんです。それからはレディースの服が可愛いっていう風にあまり思わなくなり、男の子たちの70年代とか80年代のストリートファッションに興味を持つようになったのがルーツですね。
ーなぜスケートカルチャーに惹かれたんですか?
北澤: 自分が経験したことのない日常が描かれていたことですね。スケート以外に当時の文化的な時代背景とか、差別とか、それを私よりも若い子たちが経験していて。しかも実話を基に映画化されているので当時はもうカルチャーショックで。
店内には要所要所で北澤さんの趣味嗜好が伺える。
ー本屋の娘としては家業に影響を受けることは当時はなかったんですか?
北澤: 黒歴史なんですけど当時の私って超ギャルだったんです(笑)。ごく普通の一般家庭で育ち、特に不自由のない環境を与えてもらっていたのですが、自分の中で抗いたいっていうか、このままこのレールを引かれたところを生きていくことに疑問を持ったり”普通の良い子”であることにストレスも感じていました。そんな時に”LORDS OF DOGTOWN”を観てまた違ったストリートカルチャーに惹かれてしまったのかもしれないです。
ーその後はどっぷりそういったストリートカルチャーにハマっていったんですか?
北澤: 好きは好きだったんですが自分っていうものが確立できていなくて、ファッションも含めてさまよって浮ついていましたね。進学したのがお嬢様大学だったので、みんながFENDIの鞄を持ってれば私もとりあえず買ってみたりして、こっちが良いよってなればもうそっちに流れていってしまうような、でもカジュアルな格好も私はするしあべこべな感じでした。だから周りは手首にブランドバッグを引っ掛けていわゆるお嬢様らしい感じのスタイルの人が多かったんですけど、私がリュックを背負って学校にいくと友達からは「登山でも行くの?」って言われましたし(笑)。赤文字系全盛の時代だったので髪の毛はみんな巻いてたし、私もそういう感じで良いなって思う自分と、やっぱりお嬢様っぽいスタイルが私にはしっくりこないなっていう自分もいたりして、自分のスタイルってなんなんだろうって自問自答する大学時代だった気がしますね。
買取した古書の山を運ぶのも仕事のルーティン。
ーその後SHIPSで勤務されるわけですがどのような流れで?
北澤: やっぱり服が好きだなと思って。服に携わる仕事がしたい、でもやるんだったらやっぱりどうしても女の子の服に興味がなくって。まずはアルバイトで入社して、配属はメンズを希望したんです。男の子の服のそばで色々知識を得てみたいと思って。その後はますますファッションの世界にのめり込んだ私は契約社員になり、試験を受けて正社員になりました。その後はVMDの業務にも携わらせてもらいましたね。空間作りで売れるアイテムの変化も肌で感じることができたので奥深くて楽しかったです
ーその後、北澤書店の4代目の店主として家業を継がれることになります。その経緯を教えてください。
北澤: 実は大学卒業時に、先代である3代目店主である父から「北澤書店を手伝って欲しい」と言われていたんです。でも当時の私はファッションが好きだったし、社会人になったらもっと自由に色々なことを経験して人生を楽しめると思っていたのに、また親と一緒に1日中過ごしてっていう生活が想像できなくて。私の人生は私のものだし、私のことはほっといて欲しいっていう気持ちが高まってしまって両親とは険悪なムードになり、私が半ば強引に家を出ていってしまったんです。そこから7、8年は家に一回も帰ることはなかったですしね。
ー両親とたまに連絡をとったりということは?
北澤: ほぼしなかった。で、店にの1度も立ち寄らなかったです。外から見たりとかはしてたんですけど、中を覗くとか、真剣に両親の状況を考えるとか、そういうことも一切しなかったんです。
ーかなり疎遠な状況が続いていらしたわけですね。そこから家に戻って来られたのはいつ頃ですか?
北澤: そうなんですよ。だから、もしかして一生疎遠な状態になっちゃうのかなって思いました。完全なる絶縁状態じゃないですけど。それにしてもあまりに意思疎通をしないような状況が長く続いたので。それで私も丸くなったというか、社会人として成長し気持ちも落ち着いていたので29歳の時に7、8年ぶりにお店に戻ったんです。
ー久々に訪れた”北澤書店”はどうでしたか?
北澤: 正直めちゃくちゃ廃れていました。2014年ぐらいだったので世の流れとして書籍がデジタルに移行し始めていて本を買う人が減っていましたし、店にも全然お客さんがいなくて。父親が足を悪くしてしまって、母親が1人で父親の代わりに重い洋書とかを動かしたりしていて。その姿もやっぱりかわいそうだったし、父親も暇そうにデスクに座って、お客さんもいないのにずっと防犯カメラを睨んでて。店の景気がすごくいい状況だった時も私は知ってるから、廃れたお店の状況と両親の姿がとてもショッキングでした。お店にお客さんは全然来なくて、稀に入ってきてくれても、300円のものが売れたりって状況で。それでは生きていけないし、両親ももうダメかなみたいな雰囲気なんですよ。あの時は両親はこのままもう閉めるしかないかなって、なんか惰性でやってるみたいな感じでした。
ー2014年あたりだとスマホやタブレットもどんどん普及していってましたし、雑誌なんかも廃刊が進み始めていた時代ですよね。いわゆる”本が売れない時代”に直面してしまったんですね。
北澤: そんな状況を見た時に、「ああ、誰かがやんないと、1902年からつづくこの北澤書店も終わっちゃうんだ。」と思いました。でも、それでいいのかどうかって自分に問うた時に、「あ、やだな」って思ったんです。なんかやってあげたいと。とはいえどうしようみたいな。そっからのスタートです。10年間洋服のことばっかりやってきたから、私には全く本の知識がないけど、もう1度このお店を盛り上げたいと。それで2016年にSHIPSを退社して、正式に北澤書店の4代目として歩んでいくことになったんです。
ーご両親はとても喜ばれたんじゃないですか?
北澤: どうなんだろう。喜んでくれてはいたんですけど、ちょっと複雑な気持ちも若干あるらしくて。っていうのは、やっぱり背負っていかないといけないじゃないですか。両親たちも背負って、背負いきれなくて辛かったものを娘に背負わせることになるので。本屋って経営だからやっぱりうまくいかなくなることもありえるじゃないですか。で、1度うまくいかなかった時も経験してるわけだから、そういうことも踏まえて不安なんじゃないですかね。だから嬉しい反面、複雑っていうのが多分本当のところなんじゃないかなって。
ー実際に北澤書店の経営に入られて、まずはどんなことに着手されましたか?
北澤: まず経営者としては古書のことは何もわかんない状態でのスタートだったから、どうしようかみたいな感じで店の本を見てたら、本のジャケットが「かっこいい!」ってシンプルに思ったんですよ。私はヴィンテージの古着が好きだったから70年代とか80年代の服で「おおっ!」て思ってたけど、古書の世界って1800年代とか1700年代のものが紙なのに普通に残ってて。しかも、2、300年前でもちゃんとデザインっていうものがプロダクトとして成り立っていてイケてるんですよ。だから、もうこれって、その本の中身を読むっていう価値だけじゃなくて、骨董品として、古着と同じようなヴィンテージ、アンティークっていうようなものとして扱って商売ができるんじゃないかなって考えたんです。それだったら、今までとはちょっと違う目線でビジネスができるから、知識のない自分でもすぐに着手できると思ってInstagramを始めてみたり、こんなかっこいい装丁の本があるから、こういうのおうちにいかがですか?っていう感じで始めてみたのが1番最初ですね。そうやっていい本を残すためにも、内容としてはすでにデジタルで普及されてるし、わざわざ買う必要がないっていうものに関しては、今度は違う目線で本に価値をつけてあげて、世に出すっていうことは、悪くはなかったんじゃないかなって今でも思ってます。
ーファッション業界に身を置いていたからこその発想ですね。
北澤: 約10年間ファッション業界で仕事して、VMDだったりで物の見せ方っていうのを学んだので、レイアウトとかも本の装丁が見えるようにレイアウトしてあげることで、若い人にもリアクションしてもらえるようなタッチポイントを作ることが出来ているので、両親と疎遠になり、その離れてた時期に培った経験や知見っていうのを、両親のために活かせているっていうことは本当に良かったなって思いますね。逆にファッション業界に身を置かずに、北澤書店から私の社会人としてのキャリアがスタートしていたとしたら、ノウハウだったりとかセンスが磨けなかったと思うので、多分親子3人で一緒にぺちゃんって倒れてたと思います。
北澤さんが「洋書をもっと身近に楽しんでもらいたい」という想いのもと立ち上げたブランド”KITAZAWA DISPLAY BOOKS.”。店舗内装やショールーム、CM・TV・MV撮影など、さまざまなシーンの空間づくりに役立つ装飾アイテムとしての提案もしている。
ー北澤書店の経営に携わられた初期と現在では、古書や本屋の経営についての考え方なども色々と変化があったのではないでしょうか?今後の展望も踏まえてお聞かせください。
北澤: 私が北澤書店に携わって9年になるので、自分が来年には40歳になるって考えると、必然的に両親も来年70歳になるんです。いつまでも一緒にいられるかっていうと、これからどんどんそうじゃなくなっていく時期に入っているのかなっていう風に思っていて。1人でもし経営してやっていくってなった時に、どういうふうにやっていこうかっていうのは、今もう考え始めてはいます。この規模感で同じようにやるのか、そうじゃないのか。場所はここでやるのか、そうじゃないのか。っていうところももう考えながら今仕事をしているんですけれども、古書店を続けていくっていうことはもう自分の中で揺るぎないものとして決意しています。で、今の自分としては、やっぱり店舗を持つことにもこだわりたいです。色んな人に会うのがやっぱり楽しいので、自分がこれは面白い本だって思ったすっごいニッチな本とかを、お客さんに手渡しで提案する楽しさってあるんですよ。それでその本を気に入ってくださり購入してくれると本当に嬉しいし、興奮するんですよ(笑)。その自分が楽しいと思ってできる環境を大事に持っていたいと思っていて、それを続けるためにはここの場所だけでやるってことが全てではないとも思っています。
ー現在の北澤書店であるこの空間にはこだわらないと。
北澤: もう全然。有形のものにあまりこだわらないでいたいっていうのは、自分の中でいつも思っていて。本は有形のものの類には入っちゃうんですけども、その場所っていうものにもそこまで変にこだわらないですね。本っていうものが、どれだけ人類に不可欠なものであったかということを、ちゃんと紹介する橋渡し的な存在であるべきだっていう、その先代の思想をちゃんと世に対して繋いでいくこと、要は無形である思想を4代目の店主として繋いでいくことが大切だと思っているので、場所にはこだわらずにやっていきたいです。場所にこだわり過ぎるとそれ以外のものが見えなくなってしまうかなとも思ってるので。あと自分としては、昔はディスプレイとしてでしか古書を見れなかった時っていうのがあって、洋服との延長戦上にあったのでそれはそれで結構楽しくて。でも今はやっぱり本の中身について知ってくと、9年前の装丁だけで「かっこいい」って言ってるだけの私とは違います(笑)。うちの父はあんまり装丁が派手なものとかよりも、本当に地味な本が好きな人なんですよ。「これは本当にいい本なんだ。」って言ってるのを見てたら、装丁はとても大事だけど装丁ではない部分っていうところが、1番の本としての役目だったり、人が生きていくにあたって知識っていうのは不可欠なので、それを伝達してくれるのには見た目って関係ないなって、今は思ってたりもします。自分で住み分けはしてるんですけど、何も地味だからってスポットを当てないっていうよりかは、だからこそ当ててあげることが大事で。最初はきらびやかだったり、イケてるって見た目でいいものを紹介してあげるっていうのは自分にできたことだけど、今度はそうじゃないところを、みんなが見落としちゃう部分を、ちゃんと中身とともに紹介してあげるっていうことが、自分にしかできないことの1つなのかなって思っています。だからいつも目標にしてるのは、自分じゃないとできないことをすること。他の人でもできることは、例えばすごく人気の本とかって仕入れて出せばぶっちゃけ売れるんですよ。それってある意味、他の人に任せてもその本はちゃんといい場所に嫁げるんですけど、逆になんか売れ残っちゃってる本とか、本当はいい本なのに気づかれない本っていうのを、伝え方の工夫で上手に光を当ててあげて買ってってもらうっていうのが自分の役目なのかなって、最近はそういう風に思ってます。あとはめちゃくちゃ未来の話をすると、自分がもちろん人間だから先に死んじゃうけど、自分が手に取って値付けした本が200年とか300年後まで残ってくれてて、うちのお店の名刺が挟んであって。未来の人か、はたまたロボットだかなんだかわかんないけど、発見してくれたら面白いなって。やっぱり自分の生きてきた証、自分だけじゃなくて父親の生きてきた証、やってきた証っていうのを何かしらで残したいっていう気持ちもあって。しかも本だったら本当に時代時代を超えてそれをやってくれるものであるっていうのも、なんかロマンを感じます。
買取した古書は全て紙面の中まで確認し、不要な落書きや汚れなどがあれば消し、布拭きとブラッシングで丁寧なメンテナンスを行なっている。こうして手間暇をかけることでより永く愛用できる商品を提供することができる。
ー実際に北澤書店には数百年前の古書もあるわけですからリアルに実現しそうですね。
北澤: そうなんですよ。2、300年後でとどまらず、400年後とか 500年後とか、もしかしたら日本じゃなくて、また別の全然違う場所で見つかるかもしれないし。そんなことを考えるとワクワクしますよね。
ー最後に、北澤さんが働く上で大事にしているワークスタイルを教えてください。
北澤: 古書はとても重量もありますし、力仕事や地味な作業がメインの仕事なので、動きやすい格好っていうのは、もうほぼほぼ8割9割ではありますし、そういう格好でいたいなっていう風に思ってるんですけど。ただ、動きやすさや機能性を重視し過ぎてしまうと、やっぱり自分もずっと洋服屋で働いてたのでアイデンティティがなくなってしまうなって思っていて。自分の中ではどこか抜け感っていうか、気にかけてるっていう部分をちゃんと出して、それは自分のためにでもあるし、やっぱりお店に足を運んでくださるお客さんのためにでもあるかな。やっぱりピシッとした気持ちでオーナーが本を手渡すっていうことで、お客さんもちゃんとした場所でちゃんとしたものを買ったんだって思ってくれるかなって思うんです。だからパンツはこういう動きやすいワークパンツに助けられることが多いので必要不可欠なんですが、トップスやアクセサリーで女性らしさや自分らしさを表現するようにしています。あとは1点でも良いものを身につけるようにしています。良いものはわかる人には気づいてもらえますし、私のモチベーションも上がるし、お客さんにも敬意を持つっていう、そういうスタイリングを心がけているんです。
北澤 里佳 @rika_books
北澤書店 4代目店主
高校の頃に観た映画”LOADS OF DOGTOWN”の影響でストリートカルチャーやファッショに興味を持つ。大学在学中からセレクトショップ”SHIPS”で働き、卒業後もメンズウェアの販売やVMDに携わる。2016に退社し、北澤書店4代目店主としてファッション業界で培った知見を活かし、ディスプレイに特化した”KITAZAWA DISPLAY BOOKS”を立ち上げ、古書に新たな価値創造を実現している。
北澤書店 Instagram @kitazawa_books
オンラインストア https://kitazawabook.official.ec/