ERな人 VOL.51 SUGI (ドローイングアーティスト)
ERな人 VOL.49 SUGI (ドローイングアーティスト)
photo, text, edit by NAOKI KUZE
1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。
ーSUGIさんが絵を描き始めたのいつ頃からですか?
SUGI: 幼稚園の頃からですね。自分が楽しかった場所にいる時の絵とか、芋掘りをしていた時の絵とか、自分が体験して心が動いた時に絵を描いていた覚えがあります。
ーヒーローとかキャラクターの絵ではないのですね。
SUGI: ヒーローとかキャラクターは小学生とかになってからですね。どちらかというと日々の記録となるような絵をいつも描いていましたね。僕があまりに絵をたくさん描くので、母親が絵を描く専用の机を用意してくれて、そこの引き出しに絵を描いても良い裏紙みたいなものをいつもたくさん用意してくれていたのでマジックペンでたくさん絵を描いてました。「紙の用意が追いつかない」と母親にはよく言われていましたね。
ー学生時代はどのように過ごされていたんですか?
SUGI: SUGI: 中学ではサッカー部に入部したんですけど部活が休みの時は相変わらず絵を描いていました。地元が三重県の伊賀と言う田舎ののんびりした地域で暮らしていたんですが、家ではケーブルテレビを繋いでくれていたので、休みの日は”MTV”とか”スペースシャワーTV”なんかの音楽番組を超観てて、USのトップチャート100位から1位まで全部観ながら絵を描いたりしてましたね。
ーサッカー部でありながら休みに絵を描くっていうのはとても珍しいですよね。同じような境遇の同級生はなかなかいないんじゃないですか?ちなみにどんな絵を描いていましたか?
SUGI: 確かに同じような生徒はいなかったですね。ノートに漫画を描いてましたね。”ドラゴンボール”とか”グラップラー刃牙”の模写をしたり。特に”グラップラー刃牙”の外伝的ストーリーをオリジナルで考えてノートに描いたりしていました。本編では戦わない組み合わせを想像して描いたりして楽しんでましたね。
ーSUGIさんはストリートカルチャーと親和性の高いアーティストだと思うのですが、ストリートカルチャーに触れたのはいつ頃からですか?
SUGI: 中学2年の真ん中ぐらいでサッカーが合わないなと思うようになってきてしまったんですけど、僕の父親がサーファーで陸トレでスケートボードをやっていたんです。その父親の影響もあってスケートボードを教えてもらうようになって始めたのがきっかけですね。それにケーブルテレビで流れていた”X Games”を観て「うわ!スケートボードってジャンプできるんや!?」って知ったことで、どハマりしてしまい中学から現在に至るまでずっとスケートボードをやり続けていますね。東京みたいにスケーター人口が三重では全然いなくて1人でやっていたんですけど、それでも好きでずっと滑ってましたね。その後工業高校に進んだんですけど、男社会で不良も多くてめちゃくちゃ怖かったんですけど、僕の友達がブレイクダンスをやっていて、その友達とつるんでいたおかげで、「あいつはスケーターだから」って”いわゆるストリート系”認定をしてくれて不良からしばかれたりせずに高校生活を無事に過ごすことができました(笑)。
ースケートする時にグラフィティを描いたり?
SUGI: 自分で言うのもなんですが、グラフィティは今まで一回も描いたことがないんです。プロを目指すぐらいスケートボードにのめり込んでいたので、休み時間に1人で階段から飛んだりするぐらい僕はひたすらスケートボードをしてました。友達からは授業中はずっと話を聞かずノートに絵を落書きに没頭していたと言われていました。
ー大学進学をきっかけに東京に出てこられたようですがきっかけは?
SUGI: 父親が仕事の関係で先に神奈川に転勤したことがきっかけで、家族も父親の元に引っ越すことになって、僕は色々選択肢があったんですけど、グラフィックデザイナーという職業に興味があったのでちゃんと絵を勉強してみたくてネットで進路を調べていたら”和光大学”がヒットして、ピンとくるものがあったので東京に行くことを決心しました。
ー大学ではどんな生活を過ごされましたか?
SUGI: 毎日スケートボードを持って通学していたら、色んな人たちと出会うキッカケがあって、その出会いのお陰で同じ学年でいたKIKUMARU(KANDYTOWN)が週末に開催してるイベントとかに誘ってくれて、自然とアーティストの友達やその周りの友達と繋がったりしたことで、現在まで繋がる輪が出来ました。絵に関しては結局全然描いていなくてひたすらスケートボードやクラブで遊んでいたんですけど、大学3年になってゼミに入らないといけなくて、仲の良い先輩や友達が入っていたのが”版画”のゼミに入りました。シルクスクリーンを紙に刷って額装したり、自分の作品を作ったりするようになりました。自分が作品作りをするようになったことで、作品に対してリアクションをもらえたり、他人の作品を観て話すようになったり、とても楽しいなと思うようになったんです。その頃から色んなアートの展示を観に行くようにもなりましたね。アートを通してもっと楽しくなりたいって思う様になりました。
ー大学卒業後はアーティストとして活動を本格化されていったわけですね。
SUGI: 大学を卒業する祭に卒業制作や絵を描くことに夢中になりすぎて就職活動に集中できなくて、就職はせずそのまま卒業しちゃいました。卒業後はスーパーの夜勤で働きながらアーティスト活動を本格化しました。でもなかなかアーティストとしては棒にも箸にも掛からない状況でした。それでも音楽活動をしていた友達の作品MASATO(KANDYTOWN)のアートワークなんかを手伝わせてもらったりしている中で、リキッドルーム内のギャラリーで開催された”MUSIC ILLUSTRATION AWARDS 2017”でBEAMS T賞を受賞したことがきっかけで、さらにアーティストとしての輪が広がっていくのを感じました。
作品を描く際に参考にしているアートブックやカセットデッキなど。
大学の友人であり、様々なプロジェクトで活動を共にしてきたDJ MASATOのミックステープを聴いて作品を製作することも多いという。
ーSUGIさんにとって絵とスケートをする上で大切にしているスタイルは?
SUGI: 自分らしくあることですね。どちらも僕にとっては切り離せないカルチャーですしどちらの活動をするにしても服装を変えることはないので、動きやすさは大事にしていますね。昔はブランド物が良いなと思うこともありましたが、今はサポートしたい友人が手掛けているブランドやお世話になっている方のブランドの洋服を身につけることが多いですね。今日穿いているペインターパンツも生地が軽くて動きやすいし絵でもスケートボードでも汚しがいがありそうですね。
LES HALLES PAINTER / BLACK
ーSUGIさんにとって絵とスケートボードとは?
SUGI: 絵を描いていたらスケートボードで息抜きしたくなるし、スケートボードをしていたらまた絵を描きたくなるし僕にとっては切っても切り離せないライフワークなんですよね。スケートボードと絵は僕自身の生き方に本当に大きな影響を与えてくれているんです。スケートボードから学んだ事は、何回転けても何回でも立ち上がれる持久力と継続する事の大事さを学びました。絵に関しても、この力は凄く大切な事だと思ってます。
持ち歩いているノートには気になったフライヤーや印刷物をコラージュしたり、目に映ったものをひたすら描き重ねたり、アイデアを書き留めたりと、作品とはまた違った自由さや魅力に溢れている。
ー今後の展望を聞かせてください。
SUGI: 自分の地元が三重県の伊賀なんですけど、地元で”ドローイングアーティスト・SUGI”として近年力を入れているMURAL(壁画)を描きたいです。地元の行政の方とやり取りをしているんですが、うまくカタチにできたらと思っています。絵を描いていくテーマとしては自分が好きな絵で観てくれた人に幸せになって もらえる絵を描き続けたいんですよね。
SUGI @sugi__90
ドローイングアーティスト1990年三重県生まれ。
ドローイングアーティスト。スケートボード、音楽、都会と田舎の流れる時間の違いに強く影響を受け、"人の営み"や"愛くるしい瞬間"、"自分が感覚的に美しいと思った風景"を切り取り、ペインティングやドローイング、様々な技法を使い独自の視点で描く。見る人に幸せや安らぎを伝え、高揚できるコミュニケーションツールになって欲しいと考え、日々制作している。 “坩堝”、”FOURTHIRTY”といったアパレルブランドのコラボレーションや、みかんジュース”Tangerine”のパッケージのアートワーク提供を行い、多岐に渡る。 近年ではミューラルペイントも勢力的に行っている。
オンラインショップ”Local Market” https://localmarket.buyshop.jp
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