ERな人 VOL. 90 和田 健 (Navy.Blue 代表)
ERな人 VOL. 90 和田 健 (Navy.Blue 代表)
photo, text, edit by NAOKI KUZE

1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

ー43年間会社の立ち上げから在籍されていたベイクルーズを退社されて、充電期間を経て今年ついにご自身のブランド「T.FUNKY WADA」やタイのファッションブランド「KALM」・サンダルブランド「NANYANG」などをメインに取り扱うショールーム「Navy.Blue」を立ち上げられました。和田さんと言えばベイクルーズに在籍されていた頃から様々な媒体にもご出演されていたのでアメリカンカジュアルやフレンチカジュアルのイメージが強いのですが、なぜタイのカルチャーをフックアップされたのでしょうか?
和田 健 (以下和田): 前職時代は、買い付けでアメリカやヨーロッパをメインに、もう世界中色んなところに行かせてもらえる機会がありました。でも仕事で海外や国内出張を理由に旅に出過ぎていて、プライベートで旅に出るっていうことが全然なかったんです。会社を辞めてはじめて、いかに私が仕事以外では旅に出ていなかったんだなということに気が付いて。
ーでは退職後は旅に?
和田: はい。それで時間はあるから行ったことがないところへ旅に出てみようってことで、たとえば鳥取砂丘に行ったことがないから鳥取に行ってみたり、海外だとフィジーに行ってみたり。それでタイのサムイ島のリゾートにも行ったんですよ。6日間のうち4日間ぐらいはサムイ島だったんですが、個人的には途中で飽きてしまって、じゃあバンコクの方にも行ってみるかということになって、バンコクのセレクトショップに入ってみたんです。するとタイパンツや、民族モノのアイテムなんかが並べられているところが多くて衝撃が走ったんです。僕が今まで過ごしてきたベイクルーズの43年間、タイのカルチャーには全く触れてこなかったし、出会ってこなかったカルチャーだったんですよ。



ーまさにカルチャーショッックだったんですね。
和田: なんで今まで知らなかったんだろうっていうぐらいに衝撃だったんです。それから帰国して居ても立ってもっても居られなくなり、すぐタイ大使館に電話して問い合わせたんです。でも何回も何回も電話しても全然電話に出ないんですよ(笑)。めげずに電話し続けてやっと繋がって、なんとかアポイントを取ることができたので、タイ大使館の方に出向いていって、自分がタイで買ってきたものとかタイのカルチャーに紐づいたことを仕事としてやりたいんだという想いを伝えました。本当はベイクルーズ退職後はこども食堂をやろうと思っていたんですが、タイのカルチャーに魅せられてしまって、とにかくそっちを先にやりたくなってしまったんです。

ー行動に移すスピード感は流石ですね。タイ大使館ではどのようなやりとりが?
和田: 大使館の方から日本語が話せて、文化服装学院でファッションを学んでいたこともあるバンコク在住のニポンという青年を紹介してもらったんです。それで私がタイで活動する際は通訳やアテンダーとして動いてもらえるように契約しました。それで僕の想いを汲んでくれたニポンから「紹介したいブランドがある」ということでチェンマイでKALMのお店に訪れました。KALMはタイの伝統工芸やアートカルチャーを現代のファッションとして巧みに昇華していて、まさに私がタイのカルチャーに触れてやりたかったことを体現していたのでKALMは本当に面白いブランドだと思いました。


ショールームに飾られているパネルの写真はKALM Village。
9棟の伝統家屋から成る空間には、ギャラリー、レストラン、カフェ、図書室、ミュージアム、ライフスタイルショップなどが点在。
伝統と現代、地域と世界、作り⼿と使い⼿を繋ぐ拠点として、アジア中のクリエイターや職⼈とともに活動している。
KALMはそのオリジナルラインのアパレル・ライフスタイルブランド。




ー和田さんが行動を起こしたからこそ縁が繋がったんですね。そこからどのようにしてKALMが日本で取り扱いができるような流れになったんですか?
和田: 初めてKALMに訪れたのが2024年の12月だったんですが、帰国後はすぐにタイ大使館に報告して、KALMと直接交渉したいのでアテンドして欲しいと伝えて今年の1月にはZOOMで会議させてもらいました。そこで私の想いやアイデアをKALM側に伝えたらすごく喜んでくれて、日本での展開をOKしてくれたんです。そこから6月に正式な契約書なども作成して再びタイに赴き、本契約させてもらいました。そこからサンプルもピックして7月に駒場東大前のギャラリーで初めて展示会を行ったんですよ。
ー凄まじいスピード感ですね(笑)。情熱が伝わってきます。
和田: 本当にすごいスピード感ですよね(笑)。で、KALMを進める一方で自身のブランドとなる「T.FUNKY WADA」の立ち上げも進行していきました。企画は全て私が行い、信頼できるパートナーに生産をお願いして形にしていきました。あとはタイの国民的サンダルと言えばの「NANYANG」っていうのもとても気に入ったので取り扱いを決めて展示のラインナップに加えたんです。





T.FUMKY WADAのブランドアイコンの原画もショールームに飾られている。

NANYANGの原点であるラバーサンダル「ChangDao(象の星)」という名前には、
象のように⼒強く、星のように輝く存在であってほしいという想いが込められている。
ー元々は仕事では行ったことのない場所で旅行していたはずなのに、いつの間にかここまで大きな仕事になってしまうあたりが長年セレクトショップやブランドを牽引されてきた和田さんらしいですね。
和田: 先程もお話しましたが、パリもミラノもロンドンも、北欧にアメリカ全土、カナダ、アジアだと韓国や中国、かなり海外を巡ってはいる方だと思うんです。でも昔の感覚だと仕事にならないからタイには行ったことがなかった。まさにノーマークだったんですよ。でも年齢関係なくこの目でタイのカルチャーに触れてしまったから。とにかく面白かったんです。たとえばタイの生地の織り方は、日本でも昔に使われていた機織り機で、手でガシャガシャ、ガシャガシャって織るんです。本当にきちんと綺麗なものを作るなと思って。昔の機織り機だからやっぱりふんわり感と、なんとも言えない素朴さが出ていて。日本の最新の機械でオートメーションで作る生地ももちろん素晴らしいんですが、今の僕の気分としては綺麗すぎるんですよね。
ーいわゆるロストテクノロジーですね。
和田: そうなんです。昔の良いものはやっぱり今見ても良いんです。私はただただ古い服を売りたいわけじゃないんです。タイの民族衣装を売りたいっていうわけでもないんですよ。タイの伝統技術が持っている良さを、それを僕なりにアレンジして、どのように表現するかってそういう方がかっこいいのかなと思ってるんです。

ー今後の和田さんの展望を聞かせてください。
和田: 自分の中では5年ぐらいの間で、他の人に継いでもらえるようにしていきたいんです。自分のブランドであるT.FUNKY WADAは別なんですけど、私がメインで取り扱っているKALMやNANYANGなどのブランドをはじめ、山岳民族や伝統技法を用いたクラフトなど、タイのカルチャーを繋げる人が出てきてもらえれば良いと思っていて。私の代で終わらせてしまっては意味がないですからね。それに先程もベイクルーズを退社してからやろうと思っていたと話していた“こども食堂”も本気でやりたいと思っているので、空間や環境が整えばすぐにでも取り組んでいきたいなと思っているんですよ。仕組みだけ作ることができたらまた次の人にバトンを渡せればなと思っているので、こども食堂もこのショールームと考え方は一緒なんです。
ーと言いますと?
和田: 簡単に言ったら、地域に貢献できるようなモノや組織を作る。で、これはある意味でタイの山岳民族にクラフトを扱うことで間接的にその人たちへ還元することが出来るから、素晴らしいカルチャーを途切れさせたくはないし、私が動くことで周りが潤うのであればそれは私の中では誇りだと思うし、なんとか成果に繋げていきたいんです。そういう想いだけです。こども食堂をやりたいと思ったのも、ベイクルーズ時代の話ですが、大きな震災があったら飛んで行って、炊き出し隊の隊長となってベイクルーズからボランティアを募って炊き出しをやってきた時代があったんですが、残念ながら長期的には続けられなかった現実もありました。時間が経ってしまったり、災害が起きないとなかなか危機意識が高まらなかったりして、ファッションが本業であった以上それは仕方ない面でもあったのかなと。一方で、貧困問題について役所で話を伺う機会があって、世田谷にも実際に困窮した家庭は存在するとのことだったんです。経済的な問題や、シングル家庭によるネグレクトなどが背景にあったり、片親だっていうことで朝食夕食が十分に取れなかったり、お弁当を持たないといけない日にお弁当を持たせてもらえない子どももいる、という実態があるということを知ったんです。そういう話を聞いて、じゃあそれを支援していきましょうと。それにできることだったらもう親ごと面倒をみた方が良いのではないかっていう風にも思ったりするんです。財源の問題などまだまだ着手しなければいけない問題は山積なんですが、従業員とその子たちに還元できるような仕組みを作っていければ良いなと考えているので、物件は定期的に探しているんです。
ー最後に和田さんのこだわりのワークスタイルとは?
和田: ペインターパンツを何本か持っていて好きだけど、私は大工ではないから本来の用途として使うことはないんです。ただ、そういう“ワークウェア”を自分なりに着やすくアレンジするのが好きですね。本来の職人なら汚れもつくし洗いざらしで着るけれど、自分は昔からスミスでもやっていたし、他のワークウェアでも、アイロン糊をかけて、ありえないくらいピンピンの状態に仕上げて履いてきましたね。フランスでいうと肉屋や職人が着るようなワークウェアも、チーフを差したりボタンを変えたりして、おしゃれに寄せて着る。ワーカー服の機能性の良さをファッションの中にうまく取り入れて、自分らしく表現する、そういう感覚が好きなんです。ちぐはぐな組み合わせも大好きだし。ドレスパンツにスニーカーだったり。逆も然りで、だから今日みたいにコーデュロイのペインターにスニーカー紐のドレスシューズ合わせだったり。そういう、スタイルのリミックスってのは、昔から大好きなんですよ。だからそれはファッションでも仕事でも変わらない私のスタイルなんですよね。




和田 健 @takeshi.wada777
Navy.Blue代表
43年間勤め上げたベイクルーズを退社後、国内外の旅の途中でタイのカルチャーに感銘を受け、再びファッション業界にカムバック。ショールーム「Navy.Blue」を立ち上げ、タイ発ブランド「KALM」「NANYANG」をはじめ、自身のファッションブランド「T.FUNKY WADA」を展開。山岳民族のクラフトアイテムなど自身のフィルターを通し、タイの伝統ある技法を現代的な解釈で日本に届ける役割を担う。