ERな人 VOL. 81 相澤 有紀 (写真家)


ERな人 VOL. 81  相澤 有紀 (写真家)

photo, text, edit by NAOKI KUZE 

 1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

 

ーカメラを始めたきっかけを教えてください。

相澤 有紀 (以下 相澤): もともと、小さい時から大学まで体操選手だったんです。大学でも体操選手として頑張っていたんですけど怪我をしてしまって練習に行かなくなってしまったんですよ。怪我するまでは本当に体操に打ち込む日々を過ごしていたんですけど、怪我をきっかけに地元の友達と遊ぶようになって。その友達っていうのは美大に通っていたり、目指していたり、音楽をやっていたりして。そういった界隈の友達と遊ぶようになったことで勝手に友達が通っている美大の授業に紛れ込んだり、制作をしている友達を見ていたりしたので色々と刺激をもらっていたんですよ。そんな日々を過ごす中で僕も何かやってみたいなっていうので父親から借りてフィルムカメラを手にしたんです。

ーそのタイミングでフォトグラファーになりたいと思ったんですか?

相澤: いえ、まだその時はそんなふうには思ってもいなかったんですけど、その時期に僕にとっての1番の親友が亡くなってしまったんです。それでたまたま僕が撮影していた写真が親友の遺影になったんです。しかもそれが父親から借りたカメラのフィルムの1番最初のロールで。そこから親友の死から立ち直るのに数年かかってしまったんですけど、フィルムってレコードに近いというか。その時の光が、そのフィルムに当たって、化学反応で絵が残るじゃないですか。それを考えた時に、その光を、そのネガフィルムを持ってるから、撮影した時のその時間にいつでも行けて、親友に会えるような気がしたっていうか。だからフィルムって素晴らしいなって思って。その瞬間に僕は生かされたから、なんか写真を撮ることを続けていきたいなって思って。

ーその一連の出来事がきっかけで仕事にしていこうと?

相澤: 結局怪我をきっかけに体操をやめてしまって、それからは写真を撮るか、スケボーしかしてこなかったから、社会に出ても僕は写真を撮ることしか出来なかったから仕事に繋がっていったって感じですね。20代前半は写真だけでは食べていけなかったからありとあらゆるバイトをしながら、写真撮って、スケボーして、みたいな生活で。20代の後半ぐらいからなんとなく写真でやっていけそうだなっていう感じで。

 
取材当日は相澤さんの地元でもある経堂エリアでフォトウォークしながら取材を行った。

2023年の10月からオーストラリア・メルボルンに拠点を移して活動されましたが、メルボルンに行こうと思ったきっかけを教えてください。

相澤: そんなに思い切ったつもりもなく。単純に旅行が好きだし、自分の英語にももっと向き合いたいのもあったし、今までちょっとコンプレックスだったのが、僕は東京で生まれ育ったので、東京でしか生活をしたことなかったから、一度東京を離れることで故郷みたいなものを知りたかったのかもしれないです。

ー東京出身の人は故郷がないから、地方出身者に憧れがある人が多いって耳にしたことがあります。

相澤: 東京出身っていうと「シティボーイ、シティボーイ」って言われることがけっこうあるんですけど、多分東京じゃない人が作った言葉だと思うんですよね。僕はただここで生まれ育っただけだから。都会人としてのプライドとかは特にないし、めちゃめちゃ最先端のファッションを追いかけてるわけでもないし。ただ環境を変えたかったんだと思います。移住先をメルボルンにしたのはそもそも行ったことがなかった国だったっていうのが大きいんですけど、一緒に行ったパートナーがテニスが好きだったこともあって。ロンドンとか、他のヨーロッパの国は行ったことあるし、ニューヨークにも行ったことがあるから、なんとなくどういう生活になるか想像ができちゃうんです。今挙げた地域は知り合いもいるし、ほんとに知らないとこに行ってやってみたいっていう好奇心でメルボルンを選んだんだと思います。

昔は店先に灰皿が設置されていて、相澤さんも以前はよく一服していたタバコ屋。

 

ーメルボルンではまずはどのような活動を?

相澤: 僕は年齢的にワーホリを使えなかったので学生ビザでメルボルンに渡ったんですよ。なので最初の数ヶ月は朝の8時半から夕方まで語学学校に通ってました。大変でしたけど、でも辛いとかはなく、もう一度学生を経験できて楽しかったですね。クラスも日本人は全然いないけど本当に多国籍で、タイ・ペルー・コロンビアとか様々な国の人がいるクラスで。すぐに友達になれましたし、お互い英語は下手クソだけど頑張ってコミュニケーションをとるからお互いの国に興味も持てました。友達になれたからまた行ってみたい国も増えましたね。数ヶ月の語学学校も終わってしまい、とりあえずお金のためにもジャパニーズレストランで働くかってことでラーメン屋に履歴書を持って行ったら意外とすぐに働かせてもらえて。

ーお金を稼ぐためにラーメン屋でホールスタッフをしたんですね。

相澤: いや、がっつりラーメン作ってました()。でも食っていくためとはいえ、ずっとここで働くわけにもいかないとは思っていたので、好きなフィルム現像ラボがあったのでそこに履歴書を出して応募したんです。友達にも手伝ってもらったりして英語で長い熱意を書いて応募したんですけど落ちちゃって。でもそれで「もういいや」って吹っ切れたから、いろんなフィルム現像ラボに履歴書をバラまいたんですよ。そうしたらバラ撒いたうちの一つに”FILM NEVER DIE”ってとこから連絡が来て「おいでよ」って言ってもらえて。僕は暗室の経験があったから、フロントスタッフってよりかは、もうラボの奥で毎日何百本も現像しまくるみたいな日々を送るようになりました。そこで、「こんなにフィルムが好きだったんだな」って、改めて痛感したんですよ。働いている時間はすごい幸せでした。一緒に働く仲間はネイティブしかいないから、コミュニケーションがもう絶対100%の内容で伝わらないので、すごく歯痒いというか悔しかったんですけど、でも、フィルムという同じ好きなものを通せば、こんなにも仲良くなれるんだって思えました。

 

FILM NEVER DIEで働き始めてからは新たな仲間も出来、写真に没頭できたわけですね。

相澤: 空いてる時間を見つけては写真を撮って、FILM NEVER DIEで働いて、メルボルンは物価も高かったのでラーメン屋と掛け持ちしながら活動してましたね。ラーメン屋ではスタッフミールがあったので金銭面でめちゃくちゃ助けられてましたね。

ーそれにしてもFILM NEVER DIEってすごくメッセージ性のある良い名前ですね。

相澤: FILM NEVER DIEで一個良いパンチラインがあるんですよ。LANEWAY FESTIVALていう多分メルボルンで1番でかい音楽フェスがあるんですけど、FES側から招待してくれて。イベントレポートで写真を撮ってくださいっていう仕事で。フィルムも支給してくれるから撮り放題な上に、FILM NEVER DIEはオリジナルでコンパクトカメラを作ってるんですよ。それのプロモーションの一環でもあったんですよ。それでフィルムカメラ45台を携えて、レンズもあるし、結構な荷物で、撮影を行っていたんですけど、僕はその現場でカメラを無くしちゃったんですよ。よりにもよって自分のカメラじゃなくてFILM NEVER DIEから支給されていたオリジナルのコンパクトカメラを。

 

ー何が起こったんですか!?

相澤: 撮影の合間に芝生の上に荷物を広げてフィルムのセットアップとかしてる時に、多分芝生の上に置いてきちゃって。。。で、会場内をしらみつぶしで探したんですけど結局見つからなくて。多分誰かが持ってっちゃったんだと思うんですけど。

1番無くしてはいけないカメラを無くしちゃったんですね。

相澤: 終わってからボスに「カメラを無くして本当にごめんなさい」ってクビ覚悟で報告したんですよ。するとボスは「そのカメラはきっと誰かがフィルムカメラを撮るきっかけになるし、巡り巡ってうちに現像を出しに来るかもしれない。だから”FILM NEVER DIE”だよ」って言ってもらえてめっちゃくちゃ救われたんですよ。本当にみんな優しくてフィルム写真が大好きな人達に囲まれた幸せな職場環境でした。

6月末に日本に帰国する前にメルボルンで写真展を開催されていましたが、どのような展示だったんですか?

相澤: 2軸あるんですけど、メルボルンに滞在中は何度もロードトリップに出ていたのですがその車窓からの風景の作品と、もう一つはあっちの広告って壁にポスターをノリで貼るみたいなクラシックなやり方で、貼っては剥がし、貼っては剥がしを繰り返しているんですけど、スーパーマーケットの壁にもそういった光景があったんです。それがとてもグラフィカルでその壁をカメラで切り取った作品を。なのでそのロードトリップでは移動して時間をかけて変わっていく風景と、同じところで、留まりながら、形を変えていく光景を一緒に並べた展示でした。スーパーマーケットの壁のポスターの写真はA0サイズのデカいポスターにしたくて、ポスターから写真で収めたものをまたポスターにするっていう表現にも挑戦してみたりしましたね。ロードトリップの写真は全てモノクロフィルムで、暗室に入って全て自分自身で手焼きしたものを展示しました。

 

<Photo by YUKI AIZAWA>

<Photo by YUKI AIZAWA>

ー展示をしてみていかがでしたか?

相澤: 写真撮っていて、口頭でこういうものが好きなんだって言うよりも、作品として観てもらった方がやっぱり伝わるんだなと感じました。初めは展示はやらないつもりでしたけど、メルボルンでできたグラフィティライターの先輩の後押しもあって開催しましたが、当たり前だけど写真展をやってよかったと思ってます。会場がバーだったから、僕のことを全然知らない人もたくさん展示を観てくれましたし、作品を通して話すきっかけも生まれたりして。それにバーのオーナーが先程お話した大きいポスターの作品を「これは買えるのか?」って展示の開催前に購入してくれて。僕はメルボルンから離れるけど、僕が作ったものがそこに残っているって言うのは本当に嬉しいことです。

ー写真を撮る時にこだわっているスタイルはありますか?

相澤: スミスのペインターは本当にちょうど良くて。ペインターパンツなだけあってツールポケットも多いから鞄を持たずに撮影する時とかは色々収納もしやすいと思います。あと撮影の時って地面に座ったり這いつくばったりすることもあるから、汚れても様になってくるのはペインターパンツはありがたいんですよね。しかも軽くて涼しい生地感もフォトグラファーには相性が良いんですよ。

LES HALLES PAINTER /COTTON CORDLANE / BEIGE

ー日本に帰ってきて、今後やってみたいことはありますか?

相澤: いろんなとこに行くのがやっぱ好きなんだなっていうのに気づいたから、これからもいろんなとこに行って、いろんな情景をフィルムで収めたいですね。

 

 

相澤 有紀 @izwyuki

写真家

1990年東京都生まれの写真家。都市の風景に潜む形や光の断片を切り取るスナップのほか、商業撮影ではアーティストやファッションのポートレートを中心に活動。フィルム撮影と暗室での現像にこだわり、202310月から20256月にかけてはメルボルンに拠点を移し、路上風景を題材とした作品制作・展示を展開。これまでに写真集『SURELY』『Walkabout』『TOKYOMONOCHROMES』などを発表している。

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