ERな人 VOL. 73 圓 進 (スタイリスト)
ERな人 VOL.73 圓 進 (スタイリスト)
photo, text, edit by NAOKI KUZE
1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。
大阪在住のスタイリスト圓さん。リースには愛車のHONDA・Daxで大阪中を駆け巡る。
ー関西を拠点にスタイリストとして活動されていますが、いつ頃からスタイリストに?
圓 進 (以下 圓): 今年で47歳になったばかりなんだけど、26か7ぐらいから始めてるはずだから、ちょうど20年前ぐらいかな。まさか20年もスタイリストをやってるとは思わなかったな。
ーどういった経緯でスタイリストになろうと?
圓: もともとスタイリストになろうっていう人間じゃなかったんだよ。元々"BOW & ARROW”っていう古着屋で働いていて、当時は独立して古着屋を作りたかったんだけど、そのお店を抜ける時に、お店によく来てたスタイリストの人が「アシスタントを探してるんだよね」って話になって。で、初めは聞き流してたんだけど、その人が「あんたやらへん?」っていう軽いノリで誘ってきて。スタイリストを仕事にするっていうのは、合う合わないはあるだろうけど、せっかく誘われたから、1回やってみようかなってそのスタイリストのアシスタントに付いて始めたのがきっかけだね。でもその後、ほんとによくわかんないんだけど、2ヶ月ぐらいでその誘ってくれたスタイリストの師匠がどこかに飛んじゃって、フリーにならざるを得なかったっていう(笑)。
ーえ、いきなり師匠が飛んだんですか!?
圓: 朝のテレビの仕事だったんだけど、その日は衣装とか全部僕が持ってたんだけど、テレビ局に入るパスは肝心の師匠が持ってるいるのに全然現場に来なくて、おかしいな、もうちょっとそろそろ来ないとまずいんだけどなっていう感じで。それでテレビ局の前で電話を掛け続けたんだけど、そしたらやっと師匠の電話に繋がったんだけど、師匠が開口一番「あんた、今日から1人でやって」って言うなりブチって通話切られて。あ、これはやべえことになったぞって思った瞬間にフリーにならざるを得なかったっていう(笑)。
ーとんでもない独り立ちエピソードですね。
圓: 個人的にはせっかく飛び込んだスタイリストの世界だから、もうちょっと師匠からスタイリストのいろはを知りたかったし、教えてほしかったんだけど、謎な飛び方をされちゃって。結局、その仕事はたまたま通りかかった、プロデューサーの人にテレビ局に入れてもらって、なんとかスタイリングも事なきを得たんだけど。これがスタイリストになるきっかけかな。だから、そっからはもちろん、独立って言ったって仕事なんか全然なかったから、フリーランスの人をはじめ、色んな人の撮影現場に足を運んで、アシスタントとか人が必要だっていうところとかに顔を出して営業したりして。そうやってスタイリングの作業を手伝わしてもらいつつ、自分だったらこうスタイリングするよなって感じで現場で色々学びながら、シンプルに自己流でしかやってこれなかったっていうことでもあるんだけど、自分でスタイリストとしての地盤を作っていったっていう。それでも最初の1年、2年はちょっとした仕事はさせてもらってたけど、それだけでは食っていけなくて深夜までやってる喫茶店とかでバイトも並行してやってたかな。
ーコネクションも引き継いだりされていない状態での独立ですもんね。アルバイトなど陰の努力もされて来られたんですね。
圓: どんなに小さなスタイリングの仕事でも拒むことなく貪欲に「なんでもやります!」ってスタンスでやってきたしね。自分の中でもせっかくやり始めたから、バイトしながらでもなんでも3年はスタイリストを頑張ってみようって思ったんだよね。そうして活動していて、ふと気づいたら目標に掲げていた3年を経過していて。じゃあもうちょっとやっていけそうだから5年頑張ってみようみたいな感じでどんどんやっていったら、また5年続けることができて。そんな感じで数年間と安定して活動を出来るようになったぐらいかな、友人から「カジカジの編集長がスタイリストを探してるらしいから紹介しても良い?」って連絡があって。すると後日本当にカジカジの編集長から連絡が来て、早速カジカジ編集部に呼んでもらったんだ。そこで当時の編集長と副編集長と初めてお会いして、そうして初めてカジカジの撮影をさせてもらったんだ。2010年とかそれぐらいだったかな。
ー関西だとどうしてもファッションの仕事の件数が東京などと比べて少ないと思いますが、それまではテレビなど芸能のお仕事が多かったんですか?
圓: そうだね。テレビとか、企業のカタログやパンフレットとか、そういうのが多かったかな。ファッションに関することって言ったら、当時はほんとに、数えるぐらいしかやったことなかったんじゃないかな。だからカジカジの仕事ができるのは本当に嬉しかったし、自分は広島出身で学生時代に本屋に並んでるファッション誌の中でたまたま手に取った雑誌がカジカジで、「なんだこのカッコよくて面白い雑誌は!」って大阪を深掘りするきっかけになったのがカジカジだったんだよ。だからその10年後にまさか自分がスタイリストとして携わることができるようになったのはとても感慨深くて。スタイリストとしてはある意味原点とも言うべき出来事だったかな。
ーその後の圓さんはスタイリスト業以外にも”tasite”というブランドを立ち上げられたり、古着屋のディレクションをされたりと活動の幅を広げられているようですね。
圓: 自分のブランドっていうほどのものではないんだけど、”tasite”を始めたきっかけとしては、それこそカジカジの編集ページを作るときにリース周りをしてて、古着のネルパーカーを使いたいなと思ってて、何件か古着屋を回ったら絶対いいのあるでしょって思ってたら意外となくて。あったとしてもサイズが小さかったり、フードが小さかったりして、雑誌で紹介したくてもなかなか良いモノに巡り会えなくて。そこで初めてヴィンテージのネルパーカーって意外と玉数がないことを知って。それがきっかけでヘビーネルのシャツを卸してもらって、オリジナルのフードを付けたネルシャツを作ってみたいなと思ったのが始まりで。だから、自分がちょっといいなっていうのと、ちょっとこれ着てみたいかもみたいな感じの時にアイテムを作ってて。
ーリースで借りれなかったから自分でアイテムを作ろうなんてエピソードはスタイリストならではですね。
圓: そうだよね。それで行きつけのコーヒースタンドで初めてPOP UPイベントをやらせてもらえることになったんだけど、そのコーヒースタンドが特殊で、住所非公開だったんだよね(笑)。カジカジの編集部も気を利かせてイベントの告知を載せてくれるって言ってくれたりしたんだけど、コーヒースタンドの住所が載っけられないから、どうやって会場の場所を説明すればいいんだろうなと思って。そのコーヒースタンドの隣に、良い服屋があるんだけどそこの名前を出して、その店の隣ですっていうのもなんか違うよなって思ったから、結局”スーパー玉出”がある公園の目の前ですっていうそんな書き方しかできなくて(笑)。それでも、なんとか自力で探し当てて来てくれた人も結構いて。”BOW & ARROW”で働いていた時以来の接客だったんだけど、お客さんと喋れたっていうのはすごい面白くて本当に良い経験だったね。結果アイテムも9割ぐらい購入してもらえたからすごく嬉しかった。コーヒーを飲みに来たついでにアイテムを見てくれる人や、何かイベントやってるなってたまたま通りがかった人が気になって来店してくれたり。目的が様々な場所だったこともあってすごく面白い時間だったし、またやれたら良いなとは思ってるんだよ。
LES HALLES PAINTER / COTTON CORDLANE /BEIGE
ーブランド以外に、”nation”と言うショップのディレクションも最近までされていたようですね。
圓: コロナが終わるか終わらないかぐらいの時ぐらいに。”nation”から連絡をもらって。で、もちろん知ってる人ではあるんだけど、インスタにDMが来るほどの関係性ではなかったと思うんだよね。それで、仕事の話があるから、1度事務所来てくれませんか?ってことで”nation”さんのところにお邪魔したんだよ。新しい空間のビジュアルか何かが欲しいっていう相談なんだろうなって、疑わずに行ったのね。そしたら、”nation”の代表の方から、「いや、そういう話ではなく」って言われて。スタイリングとかそういう話じゃなかったら、俺なんで呼ばれたんだろうなとかって思ってたら、「コロナになって閉めてたお店のディレクションを、圓さんの好きなものとかを置いて、”nation”を復活させてほしいんです!」って言うまさかの内容で。
ーそれは予想外のオファーですね。
圓: すごく嬉しかったよ。で、その3ヶ月後ぐらいにアメリカ行って、西海岸で買い付けをして。その合間に買い付けたアイテムでLOOKを撮り、お店の立ち上げから様々な仕込みとか色々やらせてもらって。
ー店頭にも割としっかり立って直々に接客などもされていたそうですね。
圓: 最初ってどんな人が来るのかもわかんないし、全部自分が仕入れさせてもらったものだから、アイテムのストーリーも自分が1番よくわかっているし、古着にしても新品のデザイナーの服にしても、全部店頭での空間として成り立つように、スタイリングができるようにって組み立てて、仕入れしたものだから、完全に自分が接客させてもらって”nation”の世界観やアイテムの魅力を伝えるのが最善の方法だと思って。だから特に最初のうちは自分が店頭に立たないとなって思って、時間をちゃんと作って接客もやらせてもらっていたんだけどやっぱり楽しかったね。本当に良い経験をさせてもらったなと思っているよ。
ーBOW & ARROW時代に接客をされていたので、圓さんの心の根っ子の部分では洋服を通してお客さんとコミュニケーションを取ることがお好きなんでしょうね。
圓: アイテムの魅力だけでなく、自分のスタイリングを気に入ってくれて、それを買ってくれたりっていう体験は本当に貴重だったね。
ースタイリストとして働く際にこだわっているワークスタイルを聞かせてください。
圓: こだわってるポイントは現場にも色々あるけど、でもやっぱり1番は自分が毎日上がれる服を着たい、着て仕事するっていうのが1番かな。もちろんね、現場によっちゃあ、真っ黒で行かなくちゃいけない時もあるんだけど。でも、そうじゃない時とか、リースの時とかは自分が1番その日上がる服を着て仕事をしたいっていうのはあるかな。たとえば、色がたくさんついてるものを着たいとか。その季節しか着れないものとか。だから今日のアウターは春の寒すぎず暑すぎないピンポイントな気候でしか楽しむことができないペーパージャケットをメインに、SMITH’Sのペインターで素材からも季節感のあるコーディネートにしてみました。upsの片側だけがファイヤーパターンの刺繍が施された珍CAPもポイントかな。
ーSMITH’Sは過去にも着用されたことはありますか?
圓: もちろん。自分はSMITH’Sのワークジャケットを着ることが多かったかな。ずっと昔からあるものが、今にも繋がってるっていうブランドを身に纏えるのはやっぱり上がるよね。
ー今後の展望を聞かせてください。
圓: 最近はまた若い俳優さんとかのスタイリングをすることが多いんだけど、それももっともっとやっていきたいなとは思うんだけど、自分の服とかももう1回ちゃんと考えて出したいな、打ち出したいなっていうのもあるかな。やっぱりこのスタイリストっていうフィールドの中で、自分がやれてなかったこととかをもう1回考えてやりたいなって。ずっと1人でやってきてるから最近特にそう思うかな。相変わらず古着は好きだし。お店の運営もなかなか大変だったけど、でも、もう1回違うアプローチができたら、自分でもう1度店を立ち上げることも考えてもいいかなっていうのは思ってて。大好きな洋服やスタイリングを軸に様々な挑戦ができたら嬉しいかな。
圓 進 @susumu_madoka
スタイリスト
広島出身、大阪在住の関西を代表するスタイリスト。ファッションを中心にテレビや広告のスタイリングを多数手掛ける。自身のブランド”tasite”も不定期で発表している。