ERな人 VOL.67 オノ ケイゴ (Floor and Wall オーナー)


ERな人 VOL.67 オノ ケイゴ (Floor and Wall オーナー)

photo, text, edit by NAOKI KUZE 

 

1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

 

”Floor and Wall”というお店のコンセプトを教えてください。

オノケイゴ (以下ケイゴ): コンセプトは正直ないんですよ。この”Floor and Wall”でメインで取り扱っているラグもポスターも11枚僕がピックしてバイイングしたもので、僕が好きなものだけを集めていて、その中からお客様にピックしてもらうっていう場所を確保するためにこの店を始めたって感じなんですよ。長年、僕は古着の卸の活動をしていた中で、10年以上前にはなるんですけどアメリカで買い付けをしている時に趣味でポスターを買い始めてしまって。もちろん会社の買い付けの一環ではあったんですがそれが6000枚ぐらいまでいっちゃったんですよね。

 

ー趣味にしてはたくさん購入されましたね。そこからどのような流れでお店を展開しようと思われたのでしょうか?

ケイゴ: 買い付けしてはいたものの「売りたい」って感覚はなく集めていたんですよ。でもたまに業界の方が「持ってるらしい」って嗅ぎつけてくれて、コンタクトがあった時だけお見せするぐらいだったんです。ただ2年前に"WED STORE”の原さんや”TheSunGoesDown”の海野さんと出会ったことがきっかけで、お客様に直接自分が提供したいアイテムを説明して、その説明したことにお客様が共感してくださるっていうことがとても素敵だなと思ったんですよ。僕が取り扱うラグやポスターを見せるにはFloorWallが必要でしたし、それなりに高価なものなので、やはり対面で提供できる環境が必要だなと漠然と思っていたタイミングでの出会いだったんですよね。そういった流れがあり、2024年の99日にこの”Floor and Wall”をオープンしました。

ーケイゴさんのお仕事のルーツについても教えてください。

ケイゴ: 僕は15歳からオーストラリアに留学をしていて、23歳で日本に帰ってきてからは海外を旅しまくってその旅先で買ってきた古着なんかを明治公園や代々木公園のフリマで販売して、その売上でまた海外に行くっていうことをやってました。20代はそんな感じで遊びレベルで卸をやっていて、本格的にちゃんとビジネスとして始めたのは2006年です。中東のパキスタンに買い付けに行きました。

2006年にパキスタンですか?一般的なバイヤーだと当時は古着を買いに行くならアメリカに行く人が圧倒的に多そうですよね。なぜパキスタンに行こうと?

ケイゴ: 僕は20代は旅行に費やしていたんですけど、当時はインターネットはあるけど今みたいに調べればなんでもわかってしまうほどの情報はネットに落ちて無かったんですよね。それで日本人は地球の歩き方を持って海外に行く人が多いんですけど、僕は渡航先のどの国でも日本人のバックパッカーのコミュニティに馴染めなかったんですよ()。それに僕はラッキーなことに23歳までオーストラリアにいて、英語がちょっとできるので、英語圏の人が読む旅行雑誌”LONELYPLANET”に救われたんですよ。”LONELY PLANET”を抱えながら旅行することによって、出会う人たちに外国人が多くて。で、結果的に日本人があまり知らない古着屋さんのディーラーとか、ニューヨークの友達もヨーロッパの友達も旅から知り合って、その流れでパキスタンにアメリカ古着があるらしいって情報を仕入れることができたんですよね。それでのちのビジネスパートナーとなる同じく旅人の友人と一緒にパキスタンに行くことになり、そこから3ヶ月間は気合い入れてけっこう激しめなバイトをこなして2人で100万円貯めました。その100万円を握りしめて、買い付けのルートも分からないまま2人でパキスタンに向かったんです。

 

さりげなく店内に飾られているカレンダーもよく見るとパキスタンのウルドゥー語の表記が。

 

ー勢いを感じますね。初のパキスタンでの買い付けはいかがでしたか?

ケイゴ: 普通は買い付けにはアテンドがつくんですよ。ただ、僕らは誰がアテンドしてくれるかもわかんないまま行っちゃったんで、そのまま現地の、僕の元ビジネスパートナーの彼の知り合いにパキスタン人がいたんです。ただそのパキスタン人の知り合いは別に古着のプロフェッショナルでもなんでもなく、ただパキスタン人っていうだけだったんですけど、好意で僕たちをアテンドしてくれて。英語で話して、英語をパキスタンで使われるウルドゥー語にしてもらいながら、最初はセカンドハンドマーケットがどこにあるかって尋ねて行くんですけど、僕らが思うアメリカ物もヨーロッパ物も全くないわけですよ。それでも多分ここじゃなくて、これのもっと根元があるはずだって言って、どんどん旅を続けながらディグっていって、3日、4日で奇跡的にいい出会いがあって、本当に根本にたどり着くことが出来たんですよ。

 

ー元々は口コミで情報収集していたことを考えると本当に奇跡ですね。

ケイゴ: でもそこからがまた大変でした。いざディーラーの倉庫に入らせてもらった時に、一言言われたんです。「月に40フィートのコンテナ何本いけんの?」って言われてしまって。要は40フィートのコンテナ何本っていうのは、デニムだけでいうところの何千何万本のデニムですよね。で、僕ら100万円しか持ってなくて、当時の古着が安いとはいえ、もうここはブラフかますしかないと思って、「月5本でも6本でもあるだけいくよ!」って言ったら、ディーラーも「わかった」っていって、大体56メートルの古着の山から「お前らのピックを見せろ」って言われたんですよ。56メートルの山なんでもう走ってジャンプして古着の山に飛び乗ってピックする感じです。あまりにも大量の古着だったので、もうこれは甘くピックしなきゃいけないなと思って10枚ぐらいピックした時にいきなりストップかけられて、「もうお前ら買えねえから出てけ!」って言われたんです。

 

ーいきなりストップ?なぜですか?

ケイゴ: ディーラーからすればもう分かってしまうわけですよ。要は、山見て「ピックしろ」って言われてコンテナ40フィートを5本、6本突き出せる人っていうのは、山見て山で買うんですよ。「じゃあこの山で」って。だからそもそもピックなんかしないんです。そういったしきたりも理解出来ていなかった僕たちは結局門前払いですよね。そこら中で。

ー厳しい世界ですね。普通の人だと心が折れますよね。

ケイゴ: だけど僕らはしつこかったんで毎日通ったんです()。次の日行ったら「絶対売らねえから」ってマジギレされて。また3日目も暇だから訪ねたら、そしたらディーラーも笑い出しちゃって。「お前らまた()?」みたいな感じで。もうみんな周りが笑い出しちゃって、「お前ら、とりあえず茶飲め()」って言われて、お茶を振る舞ってくれて「お前ら実際のところはどのぐらい買えんの?」って尋ねてくれて。それで僕たちは「ぶっちゃけて言うけど、デニムで1000枚ぐらいかな。」って答えたんです。本当は1000枚も嘘だったんですけど()。すると彼は「いとこもディーラーやってるから、お前らいとこのとこ行ってこい」って言ってくれたんです。彼曰く、いとこのところだったらもうちょっとコンパクトにできるとのことで、早速そのいとこがやってるという倉庫に行ったら、同じ現象で「はい出てけ!」って門前払いで()。でも確かに買い付けの量としてはコンパクトになっていたのでまた懲りずにいとこの倉庫に通ったんですよ。そうするとやっぱり同じように3日目ぐらいからそのいとこも「ちょっとお前らおかしいね()」ってなって、「お茶飲んでけよ」って言ってくれて。それで「お前らはどうしたいの?」って聞いてくれるんです。そこで僕たちも「ちゃんと良いアイテムだけピックしたい」っていう話をしたら、「わかった。俺のいとこがまた別でいるからって言われ、新たないとこの倉庫に行った時に初めて、ある程度Levi’s501505Wranglerとか品分けして畳まれた山が出てきたんです。でもその代わりパキスタンで最初に見た山のアイテムの値段の10倍とか20倍ぐらいで。でもここにきてようやくコンテナでキロいくらじゃなく、1本いくらでって交渉ができるところまで来たんです。それで100万円分を買おうと思ったんですけど、良いヴィンテージのアイテムだけ抜くのがダメって言われてしまい、結局最初の買い付けでは40万円の渡航費を使って5万円分の古着しか買えなかったんです。少な過ぎてもはやハンドキャリーで。普通のバイヤーだったら、もうこれはタイかアメリカ行って買ってた方が楽だからってなってしまうような散々な結果だったんですけど、2人で飛行機の帰りにパートナーから「どう?」って聞かれたんです。僕は「ダメだったけど、めっちゃくちゃ面白かった」って話すと、パートナーも「俺もなんだよね。めっちゃくちゃ面白かったし、もう生きてる感がやばいから、もう1ヶ月またバイトしてまた来ようよ」みたいな感じで。それで1ヶ月後か2ヶ月後にまたパキスタンに飛び立ったんですよ。もう2回目なんで、外国人がうろつかないエリアだったこともあって僕たちの顔も覚えられてて、前回訪れた時はすげえ怖い顔されたのに、2回目は「あいつらまた来た!」って大騒ぎになって、町中がキャッキャして、みんな「お茶飲んでけ、お茶飲んでけ!」って具合に徐々に歓迎してもらえるようになって。そこからも紆余曲折はありましたが安定して買い付けを行えるような関係を築くことができるようになったんです。これがパキスタンですね。

ーお店のメインの一つであるポスターはどのようなことがきっかけで集められ始めたんですか?

ケイゴ: パキスタンと同時に、アメリカにドレスシューズとインポートの買い付けも行っていて、とある州のハイウェイを車で走らせていた時に、本来降りなければいけない出口を一個間違って降りちゃったんですよ。で、逆に回ってまた乗ればいいやっなんて思っていたら、なぜか逆に戻れなくて。とんでもない長い田舎道を通って、次の町から乗らなきゃいけないところに行ってしまって。しばらく何にもない真っ直ぐの道を走っていると突然レンガ作りの煙突が見えてきて、その建物にはヘッタクソなタッチでジミヘンやボブディラン、ジャニスジョプリンの壁画が描かれていたんです。結果その店はバラエティショップだったんです。とはいえジャンクしか扱っていないお店で、ちょっと寄ってみようと思って中に入ってみたら、入口にいきなりとんでもないド級のヴィンテージTシャツのデッドストックが飾ってあったんですよ。店には腰くらいのドレッドに腹まで伸びた髭のドヒッピーのデッドヘッズの眼鏡のおじさんがいて、「これいくらですか?」って聞いたら相場ではあり得ないぐらい手頃な値段だったので、「全部買います!」っていうと、そのヒッピーおじさんが「お前Tシャツ欲しいの?裏にまだ1万枚あるけど見るか?」と。実際に見せてもらうとそれはもう宝の山で。それからは年に56回は通わせてもらって死ぬほど買わせてもらったんですよ。で、いよいよTシャツが掘り終わってしまってヒッピーおじさんに「僕多分もう買うものがないから今回で最後だね」って伝えたんです。すると「お前はポスターはやんないの?」ってリチャード・アヴェドンが撮影した裸のアレン・ギンズバーグの60’sのブートのポスターを見せてくれたんですよ。ロールで30枚はあると。「これってリチャード・アヴェドンだよね?」って確認したら、「それがリチャード・アヴェドンかどうかは知らないがギンズバーグだ。ブートだとは思うが裏にはサンフランシスコの印刷会社のスタンプも入ってるから」と。値段もあり得ない金額で譲ってくれるとのことだったので、「じゃあ全部買うよ」ってことで2013年からポスターを買い始めたんですよね。それからは「映画のポスターもあるぞ」とか連絡が来たりして、そんな流れで現状6000枚も買ってしまってるという感じです。

当時購入された裸のアレン・ギンズバーグのポスターは店内にも飾られ販売もされている。

 

軽快なリズムでポスターをタイトに巻き上げるケイゴさん

映画・アーティスト・広告ものなど様々なポスターがケイゴさんの気分でレイアウトされている

ーハイウェイの降り間違いから奇跡の出会いがあったんですね。ラグはどのような経緯で買い付けされるようになったんですか?

ケイゴ: パキスタンに行って、アメリカに行って、またパキスタンに行ってっていう買い付けの旅を繰り返していた中で、アメリカで買い付けていたドレスシューズをもっと綺麗に見せていきたいなと思ったんですよ。そんな時にパキスタンでラグに出会ったんですよね。それでラグの上にドレスシューズを乗っけて撮影をしたりして遊んでいたらラグの魅力にも取り憑かれてしまった感じですね。古着の物としての魅力よりも先行してヴィンテージとしての価値や、珍しいタグだったり、MADE IN USAだから買われてしまうみたいなことに少し疲れ始めていたタイミングでラグやポスターと出会うことで本当に心が自由になれたんですよ。ポスターに関しては今でこそ90’sのカルチャーが人気だったりしますけど、2013年ぐらいの時はまだまだ市場価値も見出されていなかったんです。でも僕は90年代に多感期を過ごしたこともあってその辺りのカルチャーが大好きでポスターを買い漁っていたんです。あとは店でも置いているんですけどカセットテープも同じぐらいの時期に買い始めてるんですよ。でも買い付けしてる時は売るとかじゃなくて、買うっていう。売ること、あんまり考えて買ったことがないんですよ。店のアイテムは全部僕が一点一点ピックしたものだけを並べているんですけど、全部僕が大好きなものだけを並べているんですよ。

ーお店を始められてB to BからB to Cに変わったことは大きな変化ですよね。お店を始めてみての感想を聞かせてください。

ケイゴ: そうですね。やっぱり売れるものじゃなくて、自分が良いなと思うものをお客様に共感してもらえる場所を得たことが嬉しいですね。それにウチは路面店じゃないんで、ウォークインがないっていうのはもうわかりきっていたんですけど、それでもどこからともなく店の情報を聞いて、「なんかあるらしいぞみたいな感じで来たんですけど」っていう感じ。そういう来店なんかもめちゃくちゃ嬉しいですね。この感覚は卸をずっとやってきた身としては初めてで。わざわざ会いに来てくれて、わざわざ見てくれてて。売れる売れないの前になんかこういうことなんだっていう体験には胸が熱くなりましたね。店作りの経験もなかったのでレイアウトや動線なんかもまだまだ試行錯誤ですが、毎日掃除に始まり掃除で終わるっていうのを自分に課して粛々とこの空間と向き合っていきたいです。

デザインが好きで置いているというイタリアのマドラーと爪楊枝

映画やテレビ番組の製作、出資、配給を専門とするA24のキャップ。

カラフルな蛇口ハンドル。

食器やシルバー製の器などもラインナップされている。

 

ーワークスタイルのこだわりを教えてください。

ケイゴ: 多分年齢とともに体系も変わっていくけど、僕なりのサイズ感っていうのは大事にしていることと、小学校から好きな格好があまり変わってないんですよね。基本的にはボタンダウンシャツにコーデュロイを合わせたりするのも好きで、トラディショナルなものが好きなんです。だから変わらないもので延々とアップデートされていくSMITH’Sは昔から好きですね。おしゃれな人って、例えば70歳ぐらいでもARC’TERYXを着て、でも靴はずっと昔から同じの履いてる感じが好きで。そういう人になりたいんで、歳を重ねると新しいものって取り入れづらかったりしますけど、僕はコーディネートが全部ヴィンテージにならないよう、コーデの中に新しいものを1点取り入れたりできるような柔軟な姿勢を大事にしていきたいと思っているんです。その上でSMITH’Sのカバーオールはフレンチの空気感も感じられて僕の気分にもピッタリなんですよね。

LES HALLES JACKET / NOIR

ー今後の展望を聞かせてください。

ケイゴ: 買い付けを仕事にしちゃってからって、僕旅行してないんですよ。で、コロナが来て海外にも行けないってなって。ようやくコロナが明けて海外に行けるってなった時に僕は真っ先に、パキスタンに向かったんですよ。その時に僕がやりたかったことってこれだったんだって思わされたんです。やっぱり僕は旅が好きなんだと。だから冒頭でコンセプトがないって答えましたけど、旅っていうのはコンセプトかもしれないですね。僕はこの店はもちろんビジネスとして成り立たせたいんですけど、僕の展望としては、3ヶ月に1回はこのお店が閉まってるっていうぐらい外国に行くっていう。で、それをお客さんに楽しみに待ってもらえるようなお店にしたいなって感じですね。あとこの物件が5年契約なんで10年は続けたいと思いますし、僕は年齢が年齢なんでその間に外国にも拠点を作りたいなと。

 

 

 

 

 

 

オノケイゴ @floor_wall_tyo

Floor and Wall オーナー

15歳でイエローページで見つけたオーストラリアの高校に留学するべく単身で渡豪。23歳になり帰国後20代を世界各国を旅して周り、32歳で北中米、アジア、中東諸国を周り買い付けた古着などの卸売業を始める。その後は古着から徐々にラグやポスターの買い付けに傾倒し、202499日に東北沢にショップ”Floor and Wall”をオープン。