ERな人 VOL.64 土屋 慈人 (MURABANKU。)


ERな人 VOL.64 土屋 慈人 (MURABANKU)

photo, text, edit by NAOKI KUZE 

 

1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

 

ー本日は土屋さんの自宅兼スタジオのお邪魔させていただきました。”MURABANKUの活動はいつ頃からスタートされたんですか?

土屋 慈人 (以下土屋): 2018年からですね。愛知県の北の方に位置する尾張小牧出身で、2020年の4月に引っ越してきました。

2020年の4月というとコロナで緊急事態宣言が発令されたタイミングですよね?

土屋: そうなんです。夜行バスで引っ越して、Nintendo SwitchPS4PCモニターと70年代のオーブントースターをリュックやらキャリーケースに全部無理やり詰め込んで、あとは必要最低限の衣類だけを持って。夜行バスの運転手さんにはバッグに「ヒトでも入ってるんじゃないの!?」なんて怪しまれながら()。ちゃんと中身を見せて「トースターだね」なんて言われながらなんとか上京してきました。そしてその翌日に緊急事態宣言が発令されましたんですよ。

ー世界的にもカオスな状況でとても過酷な上京の仕方をしてこられたのはどうしてだったんですか?

土屋: 実は、僕の親は公務員になって欲しいという願いがあったみたいで、音楽をやっていくのなら家から絶対に出ていかないといけない鉄の掟があったんです。大学でも就職活動をやってるフリをして過ごしていて、何もない日に就活スーツを着て家を出たりしてたんですけどある日、「今日スニーカーで面接行ってないか?」って母親からLINEでメッセージが届いてしまって()。すかさず「カジュアルな面接だから大丈夫」なんて必死で誤魔化したんですけど母親にはバレてしまい、かなり気まずいムードになりました。そういうこともあり、ベースの丸山くんは年が一つ上で先に東京の事務所に所属してモデルをやっているので先に東京に来ていて、僕が大学卒業のタイミングでパーカッションのチェと一緒に上京して3人で東京での活動にシフトしたという感じです。

 

MURABANKU。の新譜「青梅街道 - Single」は土屋さんが作曲を手がけている。最近GETしたという80年代のシンセサイザー。

 

ーコロナ禍でも最もイベントなどが困難な時期に活動拠点を東京に移されたわけですが、活動のし辛さみたいなことは感じましたか?

土屋: 音源のリリースがあって、レコ発をしよう!と箱を押さえたりしてもコロナの影響で延期や中止になってしまうことが結構多かったですね。その時のレーベルにもかなりお世話になって、みんなで魂を込めて作ったものだったのでライブができないというのはかなりショックでした。なので、まず確実にレコ発ができる、かつまだ誰もやっていないような方法で何かできないか考えることにシフトさせました。その時に「自分達がポリゴン状態(Nintendo 64のような)で演奏していたらおもしろそうだなあ」と思い、映像クリエーターであり音楽もやってい 葛飾出身に声をかけて映像ユニットを作って、YouTube”MURABANKUVS 葛飾出身っていう前後編で80分にもわたる映像作品を作りました。その映像がいろんな場所から反響があって、辛い制限がある中でも、だからこそ生み出せるおもしろいものはあるんだという希望を感じられて嬉しかったです。そうはいっても、当時はまだまだ先のビジョンも考えられず目の前のことを一つ一つ乗り越えていく、「作りたい!」の衝動のままに動いていましたね。

2023年からはコロナも5類に移行し、より活動もやりやすくなってのではないでしょうか?

土屋: そうですね。23年はライブもできるようになってきて、下北沢で連続企画をやらせてもらったり、サマソニにも出演させてもらえたり活動の幅が増えました。だけど、そのサマソニの出番終わり、楽屋で身体を冷やしながらメインステージをテント越しに見ていると「今のままでは向こう側へは行けないかもしれない」と思ってしまったのです。愛知、東京間でやっていたこともあり、ふと気づけば自分の中で音楽を作ることより、今の状態をちゃんと維持できる方法を見つけることの方が優先順位が高くなっていたんです。なので、新譜もなかなか出せなくて。それから、メンバーとも沢山話し合いを重ね、当時の編成で最後のツアーを回ることでちゃんとみんなで最終回を迎えて、それぞれの次への起点も生まれるようなツアーをやり遂げることができました。そして、今年の春から新メンバーも加入して次のフェーズが始まりました。

ー新メンバーを迎えて今のバンド編成の空気感をどのように感じていますか?

土屋: 「ついに集まってしまったぞ…!」っていう感じでめちゃくちゃしっくりきていますね。”MURABANKUは愛知発のバンドではあるんですけど、結果的に愛知出身は僕とチェの2人で。丸山くんは静岡。新メンバーのトランペットの根岸くんは埼玉。鍵盤のシンジくんは神戸。ドラムの椿くんは下北で。なんかみんなそれぞれの場所で、それぞれ浮いてしまった人たちが集まっているような…()。だからこそなのか、好きな音楽も完全に一緒ではなくとも共鳴できるものが多いのです。マインドだったり、音楽の中での佇まいみたいなのもなんか近かったり。みんなそれぞれ好き勝手やってもなんか成立する!みたいな、不思議でおもしろいバランス感覚があります。とにかく変なのです()!だけど、それでいてとてもチャーミングといいますか。それぞれが凄く面白い。偶然の出会いに救われましたね。

 

作曲はDTMだが、作曲にまつわるメモやアイデアはアナログでノートに書き込むハイブリッドスタイル

 

ー新体制での最初のシングル青梅街道を聴かせていただいた時も”MURABANKUだけどメンバーの今の勢いが音楽にちゃんと乗っかっている印象を受けました。もちろん”MURABANKUらしさはあるんですけど、過去1でリズムも攻めてるし、いろんな音楽のジャンルがメンバーそれぞれのフィルターを通して濃縮されたエネルギーに溢れているなと。

土屋: めちゃくちゃ嬉しいです。青梅街道っていう曲は、僕たちなりのストリートを曲にしようっていうのをコンセプトに作った曲なんです。小学校の時に、公園で集まってNintendo DSを持ち寄って通信したりするみたいなのも今思えばストリート的なんじゃないかなと思って。例えばそれこそ昔は雑誌のPOPEYEとか読んで「シティボーイかっけえな~」とか思ったりしていたこともあったんですけど、なんか別のベクトルで僕もちゃんとストリートしてたんじゃないかなと思って。それで、あの時の楽しさとか、無条件のワクワクみたいなものを音楽にぎゅっと詰め込めたらきっと楽しいだろうなと思ってエネルギーに満ち溢れたものになっているのかもしれません。ジャンルも、エキゾチカというオールディーズにドラムンベースというリズムを組み合わせてみたりしてスチャラカコアという謎のジャンルが誕生しました。去年サマソ二に出た時に、やっぱ大きい方のステージに上がるには、何か新しい音楽でちゃんとひっくり返さないといけないなって、そう思ったんですよ。あんまり伝わらないなみたいなことも、ちゃんと楽しいものとして聴いてくれる人に伝わるように臍(ほぞ)をぎゅっと固めて作る。それを聴いて面白がってくれる人たちが集まってきたら、みんなで世の中をひっくり返せるんじゃないか!っていうマインドがバンド内、レーベルのテーチレコードにも強くあって。今作はかなり気合いの入ったものになりましたね。

ーメンバー間でも同じ方向をしっかりと見つめられているということですね。

土屋: 最新のアー写を見ていただくとわかると思うんですけど、誰も目が合ってないんです()。みんな意図してるわけではなく、たまたまみんなの顔が別々の方向を見ていて、その感じがそういう意味では全員無理はしてないんですよね。それぞれ目標とかプレッシャーはあるかもしれないんですけど、良いなと思っています。

レコードもよく聴くという土屋さんのお気に入りの一枚。ディズニーランドの既になくなってしまったアトラクションのサントラも収録されているという。

デスクから手の届くところにレイアウトされている本棚には土屋さんの好きが詰まっている。

LES HALLES PAINTER / 14w cord / stone

 

ー土屋さんが働く上で大事にされているスタイルはありますか?

土屋: 自分はファッションの造詣が深くないのですが。でも、ただ思うのは、僕はアニメやゲームが好きで、ギアっぽい服を身にまとうことがすごく好きなんですよ。だからSMITH’Sのペインターみたいにポケットが沢山ついているパンツは大好きですね。それで結構ワーク系のパンツには目がないんですよね。それにライブをする時の洋服は僕にとっては戦闘服という解釈で、敬愛する任天堂の社員さんもかつては作業着を着ていたし、ゲームセンターCX”の有野課長も作業着を着ているので、ワークウェアはもはや僕にとっては正装といえるのかもしれません。それにワーク系って、Beastie Boysだったりヒップホップの要素もすごいあるじゃないですか。自分はヒップホップの人間ではないけれど、内面的にはリアルヒップホップでありたいという気持ちは常に持っていて。憧れはずっとあります。

 有野課長が表紙を飾る雑誌”CONTINUE”。有野課長はもちろん作業着を着ている。

 

ー今後の展望を教えてください。

土屋: バンドでも個人の活動でも「しょうがねえな~」と思わず言ってしまうような()遊び心のある音楽や作品を作っていきたいです。それから、色々な音楽の仕事もしてみたいと思っています。作曲家的な立ち回りへの憧れもあり、自分の物がより知らないところで誰かの物になっていってくれたら嬉しいなあと思ってます。あとは映像面にも心血を注いでいきたいです。”BeastieBoys” ”SABOTAGE”ってMVご存知ですか?スパイクジョーンズという方が撮っているのですが、もうふざけていてめちゃくちゃカッコよくて。スパイクジョーンズのような映像×平成のアニメの構図を組み合わせたようなミュージックビデオを作りたくて。絵コンテをもっと勉強して、自分の中の妄想をより人に届く形で取り出せるよう修行をしたいと思っています。そして、葛飾出身を始めとする映像グループでまた映像作品も色々作っていけたらなと考えてます。多分まだ世の中になくて、いろんな人が見ても楽しめるものが作れそうな気がしてるんですよ。音楽に映像にしても、エンターテイメントってかなりセルフケアとしての役割が大きいと思ってます。僕は本当に幼い頃から色んなエンタメにずっと救われてきてるんです。日々、どうしても無理しないとやっていけないようなことが多いと思うのですが、夢中になることによって救われた経験が圧倒的に多い。それは、自分が無理しなくていい瞬間、無化されるような瞬間が、心のケアに繋がっているんじゃないかと思ってて。楽しさを持って、無理をさせず、楽にすることのできる魔法がやっぱりエンタメにはあると思うのです。その魔法を信じて、僕はリスペクトしている様々なカルチャーに関わって、ポップでヘンテコな音楽を作っていけたらなあと思っています。

自転車移動の多い土屋さんの愛車SURLY ”Disc Trucker"青梅街道 -Single”は日常的に乗っている自転車移動がきっかけで生まれた。
  

 


土屋 慈人 @222no2.jp @MURABANKU

MURABANKU(リーダー / ギター)

1997年、愛知県出身。

好きなお菓子は「ふんわり名人きなこ餅」。

好きなポケモンはクルマユ。