ERな人 VOL.60 安斉 隆太 (THEMオーナー / Freelance Hair dresser & Make up)
1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。
ー色々な活動をされていらっしゃるようですが、まずは美容師になろうと思ったきっかけを教えてください。
安斉 隆太 (以下安斉): 美容師になろうと思ったきっかけはミーハーなんですけど、中学生の時に木村拓哉さんのドラマ”ビューティフルライフ”の影響が大きいですね。美容師として活躍するところもカッコ良いんですけど、YAMAHA TW200に跨って通勤する姿にも「かっけぇ!」ってなりました。余談なんですけど、ドラマの冒頭で表参道の交差点の信号待ちで木村拓哉さんと常盤貴子さんが出会うんですよ。僕もたまたまですけど同じ246を通ってバイク通勤していて、朝の表参道の交差点で同じように信号待ちをして、毎回横を向いてるんですけど常盤貴子さんは今のところいないです(笑)。冗談はさておき美容専門学校を卒業して20歳の時に地元・埼玉のサロンに入社しました。
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ー初めは東京ではなく地元・埼玉でキャリアをスタートされたんですね。それはなぜ?
安斉: その当時は埼玉が好きで地元を離れたくなかったので3年間ぐらい地元で美容師をしていたんですけど、表参道のサロンで美容師をしている友人から連絡があって「ウチの店が美容師募集してるけど面接受けてみない?」って連絡をくれたんですよ。その店は木村拓哉さんが切りに来られるサロンだってことも知っていたので、「マジか!」と思い、思い切って面接してもらうことになり無事に新しいサロンに入社して修行させてもらいました。それで当時そのサロンの店長をされていた方が独立するタイミングで僕も一緒について行き、前職店長を務めさせていただいていた”Leonid"に移籍した感じですね。
ーキャリアを重ねてきた中で、安斉さんはサロンワークと並行して、クライアントワークでヘアメイクもされていますが、サロンワーク以外の活動を始めようと思ったきっかけも教えてください。
安斉: せっかく東京にいるから、自分の今の技術をいろんなところで試してみたいと思ったんですよ。たとえばブランドのLOOK撮影やCM撮影とか、そういった広告撮影に挑戦したいなって思った時に、今も1番お世話になっているブランドなんですけど、MIYAGIHIDETAKAさんの展示会に伺ったんです。そのシーズンのLOOKを見せてもらった時に、「次のLOOKの撮影がもしあったら、僕ヘアメイクできるんでやらせてください!」って直談判していたんです。すると本当に次のシーズンのLOOK撮影で声を掛けてくださったんですよ。で、その撮影がきっかけで他のブランドとか、他業種のヘアメイクの仕事も増えました。
一般的にヘマメイクの道具はスーツケースなどに入れて持ち運ぶアーティストが多い中、安斉さんはバイク移動の為、両手が塞がらないバックパックスタイル。
ーサロンワーク以外のヘアメイクの仕事も並行して行うようになり、その前と後では働き方や仕事に変化はありましたか?
安斉: やっぱり広告撮影の現場ってプロの集まりじゃないですか。で、そういう現場に入って、いろんなスタイルとか、スタイリングとか刺激的な情報や経験を肌で感じられるようなインプットをする機会が増えたので、アウトプットするための引き出しが確実に増えて、ヘアドレッサーとしてサロンワークに戻った時に、明らかに自分の作るスタイルに変化が生まれていますね。前よりもクオリティが上がったというか。以前はお店でしか経験値を上げる機会がなかなかなかったので、外でヘアメイクをするようになったことで自信もつきました。
ー会社に所属しながらサロンワークとヘアメイクを両立して働かれていましたが、独立されました。
安斉: 去年の2月です。だから独立してもう1年半ぐらいですね。
ー比較的、会社に属しながら自由に働かれていたと思うのですが、なぜ独立されたのでしょうか?
安斉: 自分の店はいつか作りたかったんです。その為には今までよりももっと色々と動かないといけないなと思って。僕自身は店長でもあったので外での活動にも融通が利いたんですけど、店には社員の後輩もいる中で、僕だけが店でも外でも自由に動いていると、なんか働き方として差別になっちゃうじゃないですか。僕としても店の子達に申し訳ない気持ちもあったので、ちょっと良くないなと思って、それで1回会社を抜けて、フリーランスになったことで、色々と撮影にも前より行きやすくなりました。実は11月に青山の骨董通りに”THEM”という念願のお店を出すんですが、お店を持ったからと言って、外でのヘアメイクの仕事はこれまで以上にどんどんやっていきたいとも思っています。
ー働く時のスタイルでこだわっているポイントはありますか?
安斉: 実はDJとしてもたまに活動をしていて、その時にハマって聞いている音楽からスタイリングで影響を受けることが多いです。最近は90’sのブラックミュージックを良く聴いたり、DJのプレイで流すことが多いのでレコードジャケットのスタイリングやMVから影響を結構受けてますね。なのでパンツのシルエットはダボっとしつつトップスはタイトめに着る感じが今の気分ですね。A Tribe Called Questなんかは音楽もスタイルも最高です。今日も比較的TシャツはタイトめでSMITH’Sのペインターは結構ゆったりめで穿いてますしね。
ー11月に安斉さんのお店”THEM”のオープンも控えていらっしゃいますが、今後の展望について教えてください。
安斉: 僕はヘアメイクとヘアドレッサーをやってて、めちゃくちゃ楽しいんですよ。美容師だけでやってるよりも視野が広がったし、楽しさも増えてるから、そういう美容師だけじゃない美容師さんを増やしたいなと思ってますし、育成にも力を入れていきたいです。現状サロンワークとヘアメイクの仕事が重なってしまって泣く泣く仕事を断ってしまうケースがあるんですけど、新しく作る”THEM”では美容師も出来るしヘアメイクも出来る人材が集まったヘア事務所みたいな感じのサロンを作りたいなと思っています。そうすれば今までだとスケジュール的にお断りをしなければいけなかった案件を店の中で振り分けて対応することも可能になるので。
ー店でも外でも活躍ができる集団を作っていくんですね。
安斉: 実は近年美容師の人口が減っていってしまってるんです。多分それは美容師だけをやってるから嫌になっちゃったりするんですよ。そこだけでしか楽しみがないから。お店で培った技術をヘアメイクとして外の世界でも表現の場持つという体験が加わるとやっぱり気持ちも変わると思うんですよ。僕自身がそうでしたから。美容師免許を持った後のアウトプットの仕方は色々あるよっていう。お店だけじゃなく、表現の場を”THEM”では仲間と一緒に発見していきたいなと思ってます。
安斉 隆太 @ryuta_anzai @them.tokyo
THEMオーナー / Freelance Hair dresser & Make up
専門学校卒業後、都内ヘアサロンを3店舗を経て2024年11月に自身の店【THEM】(ゼム)をOpen。店名の意味は、好きな言葉の1つである、「You can’t win them all.」(いつも上手くいくとは限らないよ。)の言葉の一部で、この先の美容師人生で例え成功しても、天狗にならずに謙虚な気持ちを持ち続けてやって行き、失敗しても失敗を糧にその教訓を活かしいつまでも向上心を持って挑戦していくいう意志が込められている。サロンワーク以外に広告撮影をメインとしたヘアメイクとしても精力的に活動中。
休日はDJとしてイベントに参加したり、バイクでソロキャンプに出かけるアウトドア派。
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