ERな人 VOL.52 立岡 凌 (写真家・フォトグラファー)

ERな人 VOL.52 立岡 (写真家・フォトグラファー)

photo, text, edit by NAOKI KUZE

 

 1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

 

ーカメラを始めたきっかけを教えてください。

立岡 (以下立岡): 大学時代にダンスサークルに所属していたんですけど、僕の周りでダンスを学びに海外に行くってなると、みんなニューヨークだったんですよ。それで僕も大学3年の時にアメリカに行ってみたくなっちゃって。でも天邪鬼な性格のせいもあって人と違うところに行きたいと思うようになったんです。それでニューヨークに行く人が多いから僕はロサンゼルスにしようかなってモヤモヤしてる時に、よく通っていたお店で、大阪・中津のIMA:ZINEの谷さんに「海外に行きたいと思ってます」と相談したんですよ。すると「リョウはロサンゼルス合ってると思う!」って後押ししてくれて。それで相談をした後すぐに留学エージェントに連絡してVISAの取得を進めて、3ヶ月後に大学を休学してロサンゼルスへ行きました。

 

3月に帰国したばかりの立岡さんと渋谷でSNAPをしながらインタビューをさせていただいた。

 

ー行くと決めてからの行動がとても早いですね。

立岡: 日本から逃げるようにロサンゼルスに行きましたね()。ただ僕はダンスは好きでしたが、仕事にしたいとかではなく、みんなとワイワイするのが楽しくてやっていた感じなので、やりたいことを見つけるためにとにかく環境を変える必要があると考えていました。それでロサンゼルス行きが正式に決まってタイミングで、相談に乗ってくださったIMA:ZINEの谷さんに報告すると「VIRGIL NORMALのチャーリーに連絡しとくから尋ねたら良いわ!」って本当にチャーリーに連絡してくださってたんです。ロサンゼルスでは語学学校に通うことになっていたんですけど到着してから2週間は学校がなかったので毎日VIRGIL NORMALのチャーリーに会いに、ホームステイしていたコリアンタウンからシルバーレイクまでバスで通ってVIRGIL NORMALに居座ってたんですよ()。すると1週間ぐらい経ったタイミングでチャーリーが「そんなに店に毎日来るなら店を手伝ってみるか?」って言ってくれて。それでお手伝いをさせてもらえるようになりました。友達もいない状態でロサンゼルスに来たんですけど、店にいると日本からもバイヤーが店を訪ねて来てくれるので、そういう出会いから遊んでくれる人が出来たりして、VIRGIL NORMALのチャーリーのおかげで一気に交友関係も広がってロサンゼルスでの生活も楽しくなりました。

ーまだカメラとは出会ってないんですね。

立岡: カメラと出会ったのはロサンゼルスに来て1ヶ月経ったあたりです。相変わらずお店の手伝いをしているとチャーリーが「休みの日は何をしてるの?」って聞いてきたんですよ。それで僕は「街をうろついたり、カフェに行ってボーっとしてるぐらいかなぁ」って答えたんです。するとチャーリーが「せっかくロサンゼルスに来てるんだし写真でも撮ってみれば?このカメラ貸してあげるよ。自由に撮ってきな。」って写真好きのチャーリーが自身の数あるコレクションの中から”Yashica T4”というコンパクトフィルムカメラを貸してくれたんです。僕はカメラや写真のことは全くわかってなかったんですけど、近くのカメラ屋さんで一番安いフィルムを買って、電池はどれを使えば良いんだ?なんて言いながらフィルムの入れ方からチャーリーに教えてもらって初めてのカメラを手にしたんです。あとで調べてわかったんですけど、”Yashica T4”ライアン・マッギンレーが愛用していたり、名だたるフォトグラファーに愛された名機だということを知るんですけど、その時の僕はそんなこととは知らずに適当に撮影したフィルムを現像に出して上がってきた写真を見てみたら、想像を超えてめちゃくちゃ良い感じに撮れていて興奮したことを覚えてますね。今思えばなんですけど、ロサンゼルスは街の色がバキッとしているし、絵になる人や風景が沢山あるので誰が撮っても映える写真になるんですけど、たまたまそういう街でカメラや写真のことを何もわかっていない僕が写真を撮って上がって来た現像を見て「撮れてんじゃん!俺才能あるかも!」ってなっちゃって()。そこからどっぷりカメラと写真の魅力に取り憑かれてしまいました。

 

ーカメラとの出会いは、フォトグラファーとして活動している立岡さんにとってまさに人生が変わるような出会いだったんですね。

立岡: どハマりした僕はアホみたいにフィルムも沢山買って、撮ってはすぐ現像してっていう感じで。留学は2020年~2021年の1年という期限があったんですけど本当に毎日そのカメラで撮影をして過ごしていました。それでいざ帰国する時に、毎日撮影していたので貸してもらっていた”Yashica T4”もキズもついてるしボロボロにしちゃってたんですけど、「チャーリーごめん。めっちゃキズついちゃってボロボロにしちゃったけど今まで貸してくれてありがとう。」って返そうとしたんです。するとチャーリーは「持って帰りな。もうそのカメラはリョウの物だよ。」って優しく言ってくれて。でも、その時はこの”Yashica T4”の価値も知っていたし、古いカメラとはいえ高価なカメラだということも知っていたので、日本に帰った時に生活環境が変わることで、色んなことに飲み込まれて写真を撮らなくなってしまうようなことがあったら怖いなと思ったんです。そんな状況にはなりたくないと思って、それでこの”Yashica T4”にチャーリーの力を込めてもらおうと思ってチャーリーに「”Yashica T4”にチャーリーのサイン書いてよ!」ってお願いしたんです。するとチャーリーはリョウ 毎日写真を撮りなさい チャーリーっていうメッセージを何も言わずに書いてくれたんです。僕が感じていた気持ちにぴったりなメッセージを送ってくれたことに感謝と涙が溢れた出来事でした。その後その”Yashica T4”は壊れてしまって今は動かなくなってしまったんですけど、家宝なので家で大切に保管しています。

20231月に大阪と東京で開催された立岡さんの個展”EACH STORIES”の会場で写真作品と一緒に展示されていた”Yashica T4”。ボディの裏面にチャーリーからの優しいメッセージが刻まれている。こちらの画像は立岡さんに招かれて個展を訪れた際に撮影していた写真。

 

チャーリーから譲り受けた”Yashica T4”は壊れてしまったため、同じモデルを買い直したという立岡さん。こちらの画像は2代目となる”Yashica T4”。最近はデジタルで撮影することも多いがいつもカバンに入れているという。

 

2021年に帰国されてから日本でフォトグラファーとしてファッションをメインに活動をされていましたが、2023年の初めに再び海外に拠点を移されました。しかも場所はカナダを選ばれたようですがなぜカナダに?

立岡: やっぱりロサンゼルスが好きで、チャーリーたちのいる環境が好きすぎて将来住みたいなと思っていたんです。でも住むためにはグリーンカードやアーティストVISA、ジャーナリストVISAなど色々と取得が難しい条件をクリアする必要があって。目指すところはアーティストVISAだったんですけど、企業や有名人から推薦状書いてもらったりするのもアメリカに住んでないと無理だよなと思って色々調べていたら、カナダが陸続きでアメリカにも行きやすいし、日本人にとってカナダはVISAが取得しやすいっていうことを知ったんです。このまま日本でフォトグラファーとして活動していくことも良いけど、将来的にはやっぱり海外で活動したいなと思ったので、だったら今挑戦しておいた方が良いなと思ったんです。それでカナダのVISAを自分で取得して、トロントに拠点を移すことを決めました。全てはアメリカに行くため。アーティストVISAを取るためでした。

 

2回目の海外挑戦はいかがでしたか?

立岡: 全然違う体験でしたね。拠点はカナダのトロントでしたけど、1年で6回はロサンゼルスに行けましたし、1度だけニューヨークにも行きましたけど、僕にはやっぱりロサンゼルスの方が性に合うなと思いました。カナダにいながらアメリカで楽しく過ごすことも多かったんですけど、カナダでの生活ももちろんあるわけで。カナダは-20°とかの世界なんで、ファッションカルチャーっていう概念が無いとは言わないんですけど、アメリカとかと比べると薄いという感じだったのでファッションの撮影っていうのは全然撮らなかったですね。セレクトショップとかも全然なくて、目立ったセレクトショップも”Better Gift Shop“っていうお店ぐらいで。夏の間だけだったんですけど、オーナーのアヴィ・ゴールドに雇ってもらって、そこのお店で販売員として働かせてもらってました。写真は毎日撮っていたんですけど、ファッションを撮影するというよりは街の人の生活や、ジャスティンビーバーを生んだ国だけあってグッドルッキングな人が多いのでそういった人を撮らせてもらったり、世には出ていないけどイケてるスケーターも多くて、そう言った人たちに声をかけてポートレートを撮らせてもらってましたね。アメリカだったらファッションがあるからファッションを撮りたくなるんですけど、カナダにはそのファッションカルチャーがないから、人にフォーカスしたり、その人の生活にフォーカスを当てて撮影をしてましたね。あとは-20°が当たり前の世界だと外に人が歩いてないんですよ。なのでそんな時は僕は図書館に通っていました。トロントの図書館は北米でも1番の本の所蔵量で、日本では流通していないような写真集が沢山あったんです。ロサンゼルスや日本で写真を撮っていたときは写真集なんてあまり見てこなかったし、あまり他のフォトグラファーの作品を見たりすることも無かったんです。でもトロントの図書館に通うようになって初めて色んなスタイルのフォトグラファーの写真集や作品をみたりすることで、とても有意義なインプットの機会になったんです。僕は写真の学校とか出ていないので、写真集を見ることで「こんな撮影方法があるのか!」っていう引き出しも増えましたし、僕にとって今後フォトグラファーとして生きていく上で必要な時間だったんだなと思っています。色々作品を見過ぎると作風が引っ張られるとか言われたりすると思うんですけど、僕は良い写真は見た方が良いって思っているので、日本に帰国してまだ間も無いですけど、日本に帰ってからも色んな展示に行ってみたり、写真集は結構チェックしてますね。

 

ーフォトグラファーとして活動する上でこだわっているスタイルはありますか?

立岡: 理想は、撮影で来てくれたモデルさんよりもかっこいい写真家でありたいんですよね。例えば撮影現場にモデルさんが来て、クライアントとか、関係者がその現場に居合わせた時に、「あの写真家イケてるね」って言われるようなアイコニックなスタイルの存在でありたいんです。その現場の中でも1番カッコいい存在でありたいというか。だからこそファッションは僕に取って欠かせないですし、モデルさんにとって失礼にならないスタイルでいるってことですね。あとはフォトグラファーである以上動きやすさはもちろん大事なので、どこで寝転んでカメラを構えても大丈夫であったり、水に飛び込んでも大丈夫な服であることも大事なのかなって思います。その上でワークウェアを選ぶことは多いですね。フォトグラファーなので自身が写真に写らないからといってファッションを疎かにはしたくないし、イケてるファッションであり、汚れたり動けたりもできるそのバランス感は大切にしています。だから今日穿いているペインターパンツも軽いし動きやすいから撮影にはピッタリですね。

 

ー今後、挑戦したいことを教えてください。

立岡: 今撮らせてもらっているファッションブランドやクライアントさんからいただくお仕事は本当に僕の自由に撮らせていただいているのでとてもありがたいですし、今後も継続して挑戦させてもらえたらなと思っています。あとは僕は26歳なので、写真業界だとまだまだ若手だと思うので、こだわらずに色々な撮影をしていきたいと思っています。僕は男性を撮影することが今まで多かったので力強い写真が比較的多かったんですよね。でも今後は女性も撮影する機会を増やしてみたいですし柔らかい写真も撮影したいですね。最近お亡くなりになられた篠山紀信さんもヌードを沢山撮影されていたんですけど、現代だとヌード撮影を表現する場が限られていたりタブー視されたりすることも多いかと思うんです。だからこそヌードを撮影する機会があれば積極的にチャレンジしてみたいと思っています。あとは作品集を作ったり、写真展もやりたいです。作品に関してはZINEっていうよりはちゃんと製本された写真集を作りたいです。今後は作家活動もより頑張りたいと思っています。

LES HALLES PAINTER/ CHARCOAL

 

 

立岡 @ryo_tateoka

写真家・フォトグラファー

ロサンゼルスを中心にストリートシーンを撮影。

翌年に現地にて自身初の写真展を開催。その日・その場所・その瞬間だからこそ写し出せる空気感や匂いが伝わってくる作風が魅力。国内外の様々なファッションブランドを中心にフォトグラファーとしても活動中。

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