ERな人 VOL.45 ミウラシュラン (GMT inc. PRESS)
1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。
ーミウラシュランさんがファッションに触れたのはいつ頃からなんですか?
ミウラシュラン: ん~多分高校生の時に付き合ってた彼女の影響かな。地元が千葉なんだけど、その当時の彼女が千葉の沿線でもオシャレで可愛いって有名だったんだよ。その子に連れられて初めて代官山のハリウッドランチマーケットに連れられて行ったのがいわゆるファッションの入り口だね。正直自分は千葉の田舎育ちだからいわゆるヤンキーファッションがカッコいいと思って育ってきたから。洋服だけじゃなくお店の匂いとかも含めてカルチャーショックだったんだよ ね。「こんな世界があるのかぁ」って。だから今だにあの店の前を通ると当時の事を思い出して緊張してドキドキするんだよ(笑)。
ー確かに2,30年はまだまだヤンキーファッションがかっこいいとされている文化もありましたからね。
ミウラシュラン: そうなんだよね。自分が学生の時は東京とか千葉だと”ストリートニュース”っていう俳優の妻夫木くんとか、いわゆるスーパー高校生が出てる雑誌を読んでる人もいれば、BOON みたいなストリートカルチャーを発信してる雑誌を読んでる人もいたし、スタイルだとキレイめでグッチのベルトを巻いてる人もいれば、アメカジの人もいて、ヒップホップスタイルの人も出てきて、さらには自分みたいにヤンキーファッションが好きな人もいた時代だからいろんなカルチャーがクロスオーバーしてたなって思うよね。
ーその後はどのようにファッションに携わるようになったのでしょうか?
ミウラシュラン: 大学の時に幕張アウトレットに新館が出来るってタイミングで、色々なショップがオープンする中で、とあるセレクトショップがオープニングスタッフを募集してて、そこでアルバイトで販売員をさせてもらったのがファッション業界のキャリアのスタートになるかな。それで就活も全然やってなかったのと、接客が楽しくて売り上げ成績もめちゃくちゃ良かったから、そのままそのセレクトショップに就職するつもりだったんだけどね。
ー就職されなかったんですか?
ミウラシュラン: 内定式まで参加してたけどそのセレクトショップには結局就職しなかった(笑)。 実はプライベートで足繁く通っていた千葉市にある小さいけどめちゃくちゃ感度の高いセレクトをする”LUMIERE”っていうお店のファンだったんだけど、そこのお店の人が「どこに就職するの? 将来何やりたいの?」って聞かれた時があって。その時の自分は内定はあるけど将来的なことは何にもわかってなかったから「何やっていいか自分でもよくわかってないんですけど、”バイヤー”っ てやつがカッコ良さそうだからアレやりたいんすよね!」って答えちゃって(笑)。でもその返答に対してまさかの「すぐ(バイヤー)やらしてあげるからウチに来なさい。」って言ってくれて。その出来事がきっかけで内定が決まっていたセレクトショップを丁重にお断りして”LUMIERE”に入ったんだよ。本当にすぐにバイヤーをやらせてもらえることになって。その流れがあってココ(GMT) には取引先のバイヤーとして展示会に来てたんだよね。Tricker’sを買い付けたりしてたかな。
ーとても稀有なパターンでバイヤーになられたんですね。そこから現在のミウラシュランさんに繋がっていくGMTへの流れも興味深いです。
ミウラシュラン: ”LUMIERE”でバイヤーとして3,4年活動してたタイミングで、GMTの社長から”Burnish”っていうセレクトショップをオープンしたいから、そのバイイングとマネージャーをやってくれないか?ってことで声を掛けてくれたんだよね。それでGMTに入らせてもらうことになったんだよ。早いもんで17年目ぐらい経つね。
代々木上原駅から徒歩30秒に店を構える”Burnish”にはインポートシューズをはじめ、 国内外でセレクトされたこだわりのブランドの洋服や雑貨が並ぶ。”
ーミウラシュランさんはメディア出演もたくさんされているのですが、いつ頃から現職のような ポジションにシフトされたんでしょうか?
ミウラシュラン: GMTに入って5年ぐらいはバイイングとマネージャーをやっていて、たまにスナップに呼ばれたりするぐらいだったんだけど、一番の転機は雑誌”2nd”の初期のスナップ号でグランプリに選ばれたことがあってそこから一気にスナップで呼ばれることが増えて”ショップPR兼バイヤー”みたいな肩書きになっていった感じだね。メディア露出が増えたことで他の会社から 「ウチでPRやらない?」って声を掛けてもらうことも増えて一度GMTにも「会社辞めようと思います。」って伝えたこともあったんだけど、ありがたいことに社長から「好きにやっていいから 会社に残りなよ。」って言ってくれて。それでGMTのPRESSとして残ることにして今に至る感じだね。そこから雑誌が全盛の時代はセレクトショップのPRESSが引っ張りだこで常に誌面に出てて「めちゃくちゃ人気あるじゃん。」ってひたすらPRESSとして悔しさも感じてたから、その悔しさがモチベーションになって活動してたね。「このまんまじゃ大手セレクトショップのPRESS に勝てない」って思って年末のファッション関係者を巻き込んだ大きな飲み会を勝手に開いたり、今でこそ得意なんだけど当時はそこまで得意じゃなかったのに「釣りできます!」ってアウトドア媒体に連絡して釣りの企画に出させてもらったりと、かなり泥臭く活動してきた(笑)。
ー17年間も同じ会社で働かれていることは社会的にみてもとてもすごいと思うのですが、GMTで働くミウラシュランさんのやりがいを教えてください。
ミウラシュラン: 外の人とコミニュケーションを取ったり、情報を仕入れてきたり、広告物を制作する際にアーティストの誰々を起用しようとか、今のところPRに関することで、ウチの会社だと1人で完結して遂行できる人が自分しかいないんだよ。人ができないことを好き勝手自由にやらせてもらえているやりがいはとても感じてるんだよね。あとは、GMTはやっぱり靴の卸をメインに生業にしているんだけど、洋服と違って靴の海外仕入れは関税とか色々な条件のしがらみがあるから新規参入がしづらいジャンルなんだよ。展示会をすると全国から本当にたくさんのクライアントの方々に会えるんだけど、その年数回の展示会がやっぱりめちゃくちゃ楽しいんだよね。結局人が好きなんだよな~って。
Burnishの並びにあるGMTのショールーム。取材時は展示会中だったので多くのバイヤーで賑わっていた。
ー現在はGMTに籍を置きつつ、外部のお仕事もされていらっしゃるようですね。
ミウラシュラン: 毎晩飲み歩いてるっていうのもあって、友達だけは本当に多いんだよね。友達とか昔からの知り合いだから仕事っていうよりは”お手伝い”って気持ちが強いんだけど、昔から人を紹介したりすることも好きだったから、結果それが”キャスティング”って仕事になっていたり。飲食や家電メーカーもお手伝いしているんだけど、ファッションも含めてそれぞれの業界が内向的でそれぞれの業界内でしか繋がっていなかったりすることが多いから、自分は色んな業界に友達がいるからそのパイプ役になれることが多かったし、人を繋いでクリエーションをすることがい つも新鮮だと感じられるし何より楽しいんだよね。
ー今後、チャレンジしてみたいことを教えてください。
ミウラシュラン: 地方の自治体とかと組んで、安っぽい言い方になっちゃうかもだけど”町おこし” をしてみたいね。地元でも良いし、全然行ったことがない場所でも良いと思っているんだけど、 ファッション以外のプロモーションに興味があって。ファッションみたいにプロダクトありきではなく、町とか、町の人を盛り上げていける事業をやってみたいと思ってて。個人的には全然地元じゃないけど島根とか鹿児島に個人的には興味があって。地元の人が地元のカルチャーを見た時に当たり前すぎて古臭く感じることも、外部の人間が見ると新鮮に映るカルチャーもたくさんあるから、第三者の目線で、自分なりに価値創造を手助けできるようになりたいと思ってるよ。
LES HALLES PAINTER / WHITE
ミウラシュラン @miurachelin
1984年生まれ。千葉県出身。セレクトショップ”LUMIERE”のバイヤーを経て、2008年に世界のシューズのインポーターとして名を馳せる”GMT”に入社。同社のセレクトショップ「Burnish」の バイヤー兼マネージャーを務める。その後はPRとして、数多のメディア出演をこなす一方で、広告製作にまつわるディレクションや商品企画を行う。近年は飲食や家電業界でもその手腕を振る う。雑誌”2nd”にて「無礼講酒場」というさまざまな業界のゲストと対談する連載企画も担当中。