ERな人 VOL.43 グッドウォーキン上田 歩武 (芸人・刺しゅう作家)
1906年に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。
ー吉本興業に所属するお笑い芸人でありながら、刺しゅう作家やスニーカー芸人などたくさんの お顔をお持ちですよね。
上田 歩武 (以下 上田): 知らん間にそうゆうふうになってきましたね。
ーその中でもやはり現在は刺繍にまつわるお仕事が多いのでしょうか。ファッション界隈のコラボやポップアップイベントの開催などで引く手数多な印象です。
上田: お笑い一本勝負で18年間ぐらいずっとオーディションを受けたりして頑張ってたんですけど、刺繍をやり始めたらみんなに見つけてもらえたので「よっしゃコレ(刺繍)で頑張ろ」っていう (笑)。でも相乗効果もあって、刺繍の活動を始めたことによって芸人としての側面の僕を知ってもらえたりもして。あとはスニーカー芸人の活動から「上田さん刺繍もやってんねや」って知ってもらうこともありますね。
ー刺繍のお話を聞く前に、ルーツの部分についてまずはお話を聞かせてください。お笑い芸人を 目指されたきっかけは?
上田: 僕は実は高卒で地元の滋賀の鉄工所に就職して働いてたんですよ。溶接とかしてました。20 年以上前で僕と同じように高卒で鉄工所で働いている同僚はヤンチャな人も多かったんですよ。 そこそこ給料も良かったんでみんな車にお金かけるんですよ。車高変えたりマフラーいじったり。 でも僕はそういう車のカルチャーに全く興味がなかったからもらった給料全部洋服に使ってたんですよ。それである日「こんな生活が一生続くん嫌やなぁ」って考えてしまうようになって。これではあかんと思い立って、実家を出て「大阪に行こう!」って考えたんです。それで親に「仕事辞めて大阪行きたい」って言うたら親からは「フリーターでは行かせられへん!」って言われてしまって。それで吉本の学校(NSC)を受けたんですよ。
ーなぜNSCを受けられたんですか?
上田: NSCって1年間だけなんですよ。それにお笑いの世界に飛び込んだら毎日楽しいかな~っていう感じやったんです。「絶対売れたんねん!」って言う野心もなく、大阪に行くってゆう手段としてNSCに入ったのが芸人になったきっかけですね。ちょうどハタチの時でした。
ー野心なくNSCに入られたわけですが、いざ笑いの世界に足を踏み入れられて当時はいかがでしたか?
上田: 現在のNSCと状況も違う部分はあると思うんですけど、ネタみせして、ダメ出しされての繰り返しやったんですけど、最初に組んだコンビが思ったより悪くなかったというか。めちゃくちゃネタ合わせもしてたんで成績は結構良かったんですよ。
ーそこからさらに東京に進出されたのはいつ頃からですか?
上田: 30歳の時ですね。コンビが解散してしもて、それでまた新しくコンビを組んだ時やったと思うんですけど、若手芸人ってコンビを組み直すとキャリアがゼロスタートになるんでオーディションとかもまた一から受けないとダメなんですよ。それで先輩に相談したら「東京でやったら?」っ て言われて、僕も「そうか東京か~」って言うたりしてたんです。そしたら知り合いの作家さんから下北で男3人でルームシェアしてるけど1人抜けるっていう話が舞い込んできて。そこの一部屋を相方と2人で住まわせてもらうことになったんですよ。金がなかったんで引っ越しの単身パックも相方と割り勘して、残りの荷物は手持ちで東京までなんとか来ました。そこからは6,7年間はなかなか芽が出ずにホンマに嫌な日々で。コンビニやピザのデリバリーをはじめアルバイトアルバイトアルバイトの日々でした(笑)。
ー東京に出てからしばらく苦労をされたとのことですがそこからターニングポイントになる出来 事はございますか?
上田: 36,7歳ぐらいの時に、うまくいかへんから芸人もアルバイトも全部辞めてしまおうと思ったんですよ。もう何やっても無理やから何もかも辞めてしまおうと。コンビでもやったしピンでもやった。漫才もやったしコントもやってみた。でも「無理や。俺は。」と。できる限るのことは俺はやったと。再生するなら今やってること全部辞めてみないとダメやって思ったんです。アルバイトしてたピザ屋に同期の芸人も働いてて、その子に「俺もう辞めるわ。実家帰るわ」って伝えたんですよ。そしたらその日の夜にその子から連絡があって「辞めるんやったら最後に俺と一緒に やらへん?」って言ってくれたんです。その子が現相方のグッド良平で、グッドウォーキンを結成することになったんですよ。それから1年間はM-1を目指してコンビ活動を頑張りました。残念ながら良い結果を残すことは出来なかったんですけどね。その後「M-1あかんかったな~この先どうしよかな~」って考えてたら、先輩芸人のRGさんが当時ツイッターで”スニーカー同好会”という活動を始められていて購入したスニーカーとかを投稿されてたんですよ。それこそまだRGさんが” キモ撮り”もされていないぐらいの時で。知り合いやったんですけど連絡先は知らないぐらいの間 柄やったんで、すぐにツイッターのDMで「スニーカー同好会に入らせてもらえませんか?」って連絡したら快くOKしてくださってスニーカー同好会のLINEグループにも入れてもろて、「このスニーカー買いました!」みたいなやりとりをさせてもらえるようになったんです。ただ、メンバーの中でまだアルバイトしていたのが僕だけで他のメンバーはすでに財力もあるからバンバン新しいスニーカーの投稿が上がってくるんですよ。それで僕もなんとかみんなに追いつくために無理してスニーカー買ったりしてましたね(笑)。スニーカーブームもあったんでせっかくならライブもしようってことになって、スニーカー同好会でお客さんも入れてライブをやったんですよ。そうしたら僕のマニアックな知識がお客さんにも芸人にも受けてめちゃくちゃ手応えがあったんですよ。その頃ふと周りに注目すると、ネゴシックスさんやダイノジの大地さんとか、お笑い以外のフィールドでも勝負をしている人がたくさんいることに気づいたんですよ。それでより一層スニーカーの知識を増やすために勉強したり、エピソードを作るために本当に好きなスニーカーやからっていうのが前提ですけどわざとスニーカーの発売日の行列に並んでみたりしたんですよ(笑)。その甲斐あってライブに呼ばれたり、雑誌なんかのファッションメディアに取材してもらえるようになったんですよね。”アメトーーク”でもスニーカー同好会で出演させてもらいましたしね。
ーそんなスニーカーやファッションがお好きな上田さんが全くの別ジャンルとも言える刺繍を始 められたきっかけはなんだったんですか?
上田: 当時お付き合いしていた彼女に刺繍を教えてもらう約束をしていて、今度家で一緒にやろうって言うてたんですけど、それが実現する前にフラれたんですよ。それで失恋を抱えながら「1 人でやってみるかぁ」ってキャップに刺繍を始めたのが最初で。はじめは周りから”ヘタウマ”って言われたりもしてたんですけど、毎日毎日1日も休まずキャップをメインに刺繍し続けていたら、 色々なブランドさんとコラボさせてもらったり、ポップアップイベントに呼んでもらえたりして今に至る感じですね。
上田さん愛用のソーイングボックス。
ー刺しゅう作家として活動され始めた時と比べると、毎日休まず刺繍をしてこられただけあって、 作品のクオリティが非常に高いですね。最近では刺繍を教えるワークショップなども開催されていますし。
上田: 刺繍が上手くなりすぎて初期の僕の作品を知ってくれてる人からは「機械使ってやってるやろ」ってイジられるようになりましたね(笑)。褒め言葉やと思ってありがたく受け止めてますけど。ワークショップもめちゃくちゃ楽しくやらせてもらってます。いつも6人ぐらいまでの定数を設けてやってるんですけど、それぐらいの少人数の参加者にメッセージを伝えることにもフルパワーで取り組んでるんで毎回終わった後はクタクタになってますね。改めて30人ぐらいの大人数の生徒を前に教鞭を振るう学校の先生の凄さにこの歳で気づかされました(笑)。
雲から虹が架かるギミックが施されている。
辰年にちなんだ龍。スカジャンのような龍をイメージしたそう。
キャップにはブランド名の”good Walkin”ロゴの入ったマネークリップがセットされている。
ーお笑い・スニーカー・刺繍と様々なアウトプットをこの数年で獲得されたわけですが、印象に 残っているエピソードはありますか?
上田: 2年ちょっと前に、”ひまつぶ刺しゅう”という本を出版したんですけど、こないだイベントで新潟に行ったんですよ。そしたらカップルのお客さんが来てくれたんですけど、そのカップルが 「”ひまつぶ刺しゅう”をきっかけに付き合ったんですよ!」って伝えに来てくれて。経緯を聞くと、 男の子の方が刺繍に興味があって僕の本を買ってくれて、それで好きな女の子に「刺繍興味ある? 良かったら一緒に刺繍やってみいひん?」って流れで仲良くなって付き合ったらしくて。そのエピソードを聞いて、学生時代とかに好きな音楽がきっかけで男女が付き合ったりするような体験ってあるじゃないですか。僕の刺繍の本が1ミリでもそんな存在になれていたんやと思うと嬉しすぎて。もうただただ「末長くお幸せに...」って心の底から思いましたね。方や失恋で刺繍を始めてますからね(笑)。いや~めちゃくちゃ嬉しかったです。
ー作家活動をする上で大事にされていることは何ですか?
上田: キャップ以外にも最近ではキャンバスに刺繍を施したアート作品もイベントで展示販売することも増えてきたんですけど、はじめは縫い上げるスピードも僕は結構早い方なので、割と安く値段の設定をしていたんですよ。そしたら「上田くんそれは良くないよ」って言ってくれた友人がいて。その友人に言われたのが「たとえばその作品が1時間で縫い上げた作品やったとしても、刺繍を始めて6,7年積み上げてきた今があるから1時間で縫えているだけであって、そんなに自分を過小評価する必要はない。自分でちゃんと作品に対しての対価を付けるべきだよ。」って言ってくれたんですよね。確かに毎日休まずに縫い続けてきた経験があっての今なので、自分で自分の作品を馬鹿にしたらあかんなと。まあ最近は「これはどれくらいで縫ったんですか?」って聞かれたら嘘つ いて「2年です~。」って言うたりしてますけど(笑)。
ー最後に今後挑戦してみたいことを教えてください。
上田: この6,7年は刺しゅう作家として誰かにキュレーションされたポップアップイベントやマーケットイベントに参加させてもらうことが多かったんですけど、今年は僕自らが主催してマーケットイベントを開催してみたいなと思てます!たくさん色んなジャンルの人を巻き込んでも良いし、 最低でも誰か1人ゲストを招いてなんか楽しいマーケットイベントが出来たらなと。楽しみにしといてください!
LES HALLES PAINTER / CHARCOAL
グッド ウォーキン 上田 歩武 @uedaayumu
芸人・刺しゅう作家
1980年11月12日生まれ。滋賀県出身。吉本芸人であり、刺しゅう作家。 大阪NSCに入学し、コンビ芸人・ピン芸人を経て上京。2015年に同期の良平とグッドウォーキンを結成。 その後、失恋をきっかけに刺しゅうに没頭するようになり、作品をSNSで発信し続け人気を集める。
オーダーメイドや展示、企業とのコラボ等々、刺しゅう作家としての道も歩み始める。 2017年には手刺しゅうを施したキャップブランド「goodwalkin」を展開。 過去のワークには、コンバース、NEW BALANCE、KANGOL、6(ROKU)。
展示やPOP UPは、バーニーズニューヨーク、fukuoka two face、伊勢丹、FREAKS STOREなどで 開催。
また、スニーカー好きが高じてスニーカー関連の仕事も行う等、幅広く活動している。