ERな人 VOL.39 宮尾 佳帆 (INLINE SKATER)

ERな人 VOL.39 宮尾 佳帆 (INLINE SKATER)
photo, text, edit by NAOKI KUZE

 

1906に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)1970年台に日本 で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で 様々な役割を持ち活躍する”ERな人達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

 

ー現在中学3年生にして、国内外のインラインスケートの大会で数々の記録を獲得されていますが、まずはインラインスケートを始めたきっかけを教えてください。

宮尾 佳帆 (以下 佳帆) : 4歳になりたての頃なんですけど、母曰く暴れん坊で言うことを聞かない子だったみたいで()。キックボードに乗って急な坂道をノーブレーキで「バー!」ってすごい勢いで滑っていて近所の人にも「危ない!」って怒られていたのを見かねて、危なくないところで人にも怒られずに私を遊ばせられる場所を探してくれてたんです。それでローラースケートリンクが家の近くにあることを知って、とりあえずそこで私を遊ばせれば脱走することもないし、刃じゃなくてタイヤだから大丈夫だろって感じでそのローラースケートリンクに連れて行ってくれたのがきっかけです。そこから楽しくて毎日リンクに通うようになりました。

 

 

ーではそこから本格的にインライスケーターとして活動を始められたのはいつ頃なんですか?

佳帆: 5歳になる前にはそのローラースケートリンクが平面しかなかったので飽きてしまって、今度は近くにできたスケートパークに通うようになりました。スケートパークには大人の人の方が多いので、その中に混じって4歳の女の子が滑っていたので毎日「危ない!!あっち行け!!」って大人のスケーターに本気で怒鳴られて()。本当に毎日怒られながらも徐々にスケートパークのルールを覚えていった感じですね。

ー4歳の女の子がよくめげずに通いましたね。恐くなかったですか?

佳帆: いや、めちゃくちゃ大きい大人の人たちに毎回本気で怒鳴られて、しっかり泣いていたので母にも心配されていたみたいなんですけど、それでも毎日「スケートパークに行く」って母に伝えていたみたいで。それぐらいインラインスケートが楽しかったんだと思います。

 

 


ー大会に出場されるようになったのはいつ頃ですか?

佳帆: それも5歳の頃には出場してました。当時は大人の部とか子どもの部みたいに年齢で競技クラスが分かれているわけではなかったので、大会ではもちろん5歳の私はビリだったんですけど母からその当時のことを聞くと、5歳の私は全然スケートが下手だと思っていないくて自信満々に滑っていたらしいです()

ーそんなに幼い頃から果敢にインラインスケート一筋で励んでこられたんですね。

佳帆: 実はスケートボードやフィギュアスケートも並行して取り組んでいたんですけど、最終的にインラインスケートに絞れ込まれていった感じですね。

ーなぜインラインスケートに?

佳帆: それは終わりがないというか、私にとってインラインスケートが一番こだわりを持てるからですね。インラインスケートは難しい技を決めることができるっていうのも楽しさの一つなんですけど、スケートしている時の指先の形とか、飛んだ時にシューズを掴むグラブの形を他の人とは違った形で決めてみようとか、飛んだ時に他の人と差をつけるためにフワっと見せるためにどうすれば良いか?とかスタイルについて深く考えることができる点が一番私がインラインスケートに惹かれる理由なんです。スケートボードだと、私は技を決めるので精一杯になってしまうし、 フィギュアスケートも競技の中で正解がある程度決まっていて、その正解にどれだけ近づけて競技を出来るかを競う部分がフィギュアスケートの魅力だと思うんですけど、私は自由に競技ができるインラインスケートの方がアグレッシブに取り組めたんです。インラインスケートが私なりのスタイルを一番追求できるんです。

スライドの滑りよ良くするためにWAXを塗り込む

 

佳帆さんは指の形など細部のディテールまでこだわって技を決めている。

 

 

ーインラインスケートをしていて一番楽しかった思い出を教えてください。

佳帆: 2023年にフランスで開催されたインラインスケートの世界大会に出場したんですけど、ハー フパイプの決勝にギリギリ残ることができたんです。その決勝の競技でいざ滑ってみると、観客席に飛び込んでも大丈夫なんじゃないかっていうぐらいのたくさんの観客の方がいて、言語は全くわからなかったんですけどとっても大きな声で確かに私の応援をしてくれていて、その中で自分の技を出し切れたことがめちゃくちゃ楽しくて一番の思い出になりました。色々な大会に出て記録を残せることも嬉しいし、これからも残していきたいとは思っていますけど、大会に出場して色々な人に自分のスタイルとか「こういうスケートが好きです。」「こういうルーティンが好きです。」って言うことを見てもらって「佳帆ってこういうスケートだよね」って認識してもらえると嬉しいなと思って頑張っています。

ーなるほど。先ほど”終わりがない”と仰られていたのに合点がいきました。

佳帆: 小さい頃から自信満々なのも成績にこだわってないからかもしれないです。5歳とかで大人に混じって大会に出ていた時も、ビリでも「私のスケート見た?すごいでしょ?」みたいな感じだったと母が言っていました()。きっとその当時のマインドを今でも持ち続けてるんだと思います()

 

 

ー逆に辛いなと思った出来事はありますか?以前SNSでも顔をぶつけたりされている様子をまとめたポストされていたのも拝見したのですが、競技の特性上怪我なんかも多そうですよね。

佳帆: 顔をぶつけたり、転んで怪我をしたりするのは本当にあるあるなので、スケーターの中ではそういった怪我したり、すごい転け方をした時はみんなに共有して「この転け方ヤバくない? ()」みたいな感じで不幸自慢じゃないですけど仲間同士で見せ合うことが多いのでネタみたいな感覚かもしれないです()。怪我とかをすることよりかは、競技で自分で納得のいく滑りやルーティンが出来なかった時に、たまに観客の方に「あの大会のルーティンはあんまりだったね」とか「あんまり実力出し切れてないよね」って言われたりすると図星だったり、自分でもわかってる事だったりするので、とても落ち込む時があります。でも苦めのアドバイスだと思って次はもっと頑張ってカッコ良い技を決めて、「あの時の言葉は忘れてないです。」って感じでポジティブに切り替えて取り組むようにしてます()

 

 

ー同級生たちと遊んだりしたい時もあると思うのですが、学生生活とインラインスケートの両立
は大変じゃないですか?

佳帆: 学校にいるときは同級生たちと遊んだりはもちろんするんですけど、やっぱり今は授業を終わらせて「早くスケートの練習に行きたい!」ってなりますね。中学生になってからは中間テストとか期末テストがあるんですけど、元々スケートをやらせてもらう条件として、父から「勉強を疎かにしたらスケートはやらせない。」と言われているので、テスト期間になるとその期間は一切スケートはやらずひたすら勉強をするようにしているので、その切り替えだけ大変です()

 

 

ー最後に今後挑戦したことを教えてください。

佳帆: 出来る技を増やしていきたいですし、今すでにできる技でも良いんですけど、みんなが怖くて出来ないようなところでも、私らしいスタイルでどこでもその技を繰り出せるようになりたいですし、難しい技よりも完成度をどれだけ高めることが出来るかはずっとこだわっていきたいです。今は国内の大会ではある程度評価してもらってますけど、来年にまた世界大会があるので、そんな最高の舞台で私のスタイルを「バーン!」と出していけたらなと思っています。成績も残せたら嬉しいですけど、そうじゃない唯一無二の私のスタイルっていうところを海外の舞台で確立させることが目標で、日々追求していきたいです。

 

LE HALLES PAINTER :  LAVENDER

 

 

 

 

宮尾 佳帆 @sportsloverkaho
INLINE SKATER
幼少期からインラインスケートを始める。その可愛らしいビジュアルからは想像できないパワフル
でありながら、細部までこだわり抜いた美しい技を武器に国内外で大躍進を続ける現役中学生。

ユニクロのCM・広告や海外メディアに取り上げられるなど今後のさらなる活躍に期待が集まるインラインスケート界の最重要人物。

 

全日本選手権VERT

ハーフパイプ woman

2021年 優勝 2022年 優勝 2023年 優勝

全日本選手権PARK woman

20213

2023年 準優勝

世界大会 NL CONTEST

VERT woman 優勝
 

 

 

 

 

 

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