ERな人 VOL.29 ヨコサカ タツヤ (アーティスト)
photo, text, edit by NAOKI KUZE
ーアーティストとして活動を始められたのは割と最近なんですか?
ヨコサカ タツヤ (以下ヨコサカ): 岡山で開催された”東京モータープール 1.5”というイベントで初めて自身の作品を展示したのが2021年4月だったので、アーティストとしての活動はまだ2年半ぐらいですね。それまではイラストレーターの仕事をお小遣いをもらう程度にやっていたぐらいで。イベントの主催者でもあるアーティストの橋爪悠也さんにインスタグラムのDMで誘っていただいたのがきっかけでアーティストとしてデビューすることができました。ちなみに橋爪さんから後から聞かされたんですけど、イベントに誘うアーティストにフラれにフラれ10番目ぐらいに声掛けた のが僕だったらしいです(笑)。
ーある意味運命的なタイミングでデビューだったわけですね。デビュー前まではどのように活動 をされていたんですか?
ヨコサカ: ずっとイタリアンレストランでキッチンのアルバイトをしていたんですけど、イラストの仕事がしたくて、昔から時代小説が好きだったので表紙や挿絵の仕事がしたいと思って色々な出版社に売り込みに行ったりしたんですけど、時代小説の読者層がおじいちゃん世代の方が多いらしく、担当の方から「イラストで斬新な表現や新しいアプローチのニーズがない」と言われ、どこも全然取り合ってくれなかったんですよね。そんな中、トライアスロン雑誌の編集長をしている友達がいて、その友達が月イチぐらいでイラストの仕事をくれてたんです。雑誌の巻末の方にある 1コマ漫画のイラストの仕事だったんですけど、トライアスロンあるあるを1コマのイラストで表現するんですけど、僕にとっては貴重なイラストのお仕事だったので、そこに全精力を注ぎ込んでイラストを描いてました。その他は別の友人が主催するトレイルランのポスターを描かせていた だくお仕事でこれは今でも継続して描かせてもらってます。
ヨコサカさんが現在も手掛けている群馬県で開催されているトレイルランの大会”片品マウンテンシリーズ”のポスター。 画像は3年前のもので現在のヨコサカさんの作風とまた違ったタッチで描かれている。
ー岡山でアーティストとしてデビューされて状況は変わりましたか?
ヨコサカ: それまで18年間アルバイトをしてたわけですけど、岡山での展示で色々な方からお声がけしてもらえるようになりました。グループ展に参加できるようになったり、クライアントワークをいただいたりしてアルバイトは週2ぐらいのペースに減らすことができました。そして2022年に 浅草橋の”カツミヤマトギャラリー”にて初個展”おわり”を開催させてもらった時に1ヶ月ほど制作に集中しなくてはならなかったこともあってアルバイトも休ませてもらっていたんですけど、ありがたいことに作品も全て買ってもらうことができたので、そのタイミングでアルバイトは辞めさせて頂きました。
ー2021年の岡山での展示もそうだったと思いますが、初個展からの流れも大きなターニングポイ ントだったんですね。
ヨコサカ: 18年間今まで何も無かったので、いきなりいろんな出来事が押し寄せてきてます(笑)。 初個展の後は、現在所属している”TEXMEX”でアシスタントをさせてもらいながら、個人のアーティスト活動をするようになりました。でも会社に入ってすぐ自転車でこけてアーティストの命でも ある両腕を同時に骨折してしまって。アシスタントなのに荷物持てないし、絵も描けないしでめちゃくちゃ周りに迷惑掛けてしまって(笑)。ちょうど厄年だったというのもあって、怖すぎて厄払いに行ったんですよ。そうして翌月に骨折が治ったと同時にあの星野 源さんからシングル曲”異世 界混合大舞踏会”のジャケットのオファーが来たんですよ。ただ納期まで1週間しかない非常にタイ トなスケジュールだったことと、僕自身が制作で手一杯で今後のことも視野に入れるとクライアントワークを1人で回し切れないと思ったので、TEXMEXにアーティストとして”ヨコサカ タツヤ” のプロデュースもお願いできないかと相談しまして、そこで晴れて所属アーティストとなり、無事 1週間で15種類ほど描き上げて実際にシングルジャケットとアー写を星野源さんに使用して頂きま した。
TEXMEXが先月オープンしたギャラリー”HEX”の第一弾エキシビションを所属アーティストのヨコサカさんが務めた。 会場内には作品と連動する形でヨコサカさんが自らカスタムした本物のポルシェも展示されていた。
ポルシェのキャリアに積まれているスニーカーのボックスや、車内に置かれているバスケットボール雑誌に見えるものは、 圧倒的な画力でヨコサカさんが段ボールに手描きしたもの。細部にまでヨコサカワールドが炸裂していた。
ールーツについても聞かせてください。絵はいつ頃から描かれていたんですか?
ヨコサカ: 小学校の時にアニメの”ドラゴンボール”が好きで観てたんですけど、同級生から「”ジャンプ”で漫画の連載もやってるよ」って教えてもらった時に、大体のアニメには原作っていうものがあることをそこで初めて知って(笑)。そこで漫画の”ドラゴンボール”の超サイヤ人悟空を模写しまくっていたのが始まりですね。当時はなぜか消しゴムを使わずに一発で描き切るのがエライと思っていたのでひたすら消しゴムを使わずに綺麗に描けるかに注力して描いてました(笑)。
ー今のようにキャンバスにセル画的技法を用いた作風になったのはいつ頃から何ですか?
ヨコサカ: 2020年にコロナが世界的に流行った時ですね。18年間全くアーティストとしては花開くことはなかったけど、画家になる夢は持ち続けていてアートシーンをしっかり追ってはいたんですよ。それでコロナが世界を脅かし始めた時に、「これは世界が変わってしまうぞ」って思ったんですよ。これから注目されるアーティストになるにはコロナ前とは違った感覚を持っている人だろ うなと。それに18年間絵を描き続けてはいたのでちょっと変わった絵の制作をしてみたいと思っていたので、緊急事態宣言で家から出ることが出来なくて新しい画材が買えなかったこともあり家にあるものに絵を描いたりするようになる中で、セル画のように描くことを思いついて試してみたんですよ。セル画っていうのが従来の絵と違ってセルの裏から完成の絵を逆算して描いていくんですけど、最後にセルを裏返した時の完成した絵を見た時の嬉しさがまた一味違って良いんですよ。そしてその時に描いた作品を橋爪さんが気に入ってくれたところから冒頭の展示に繋がっていったんですよね。
ー憧れたり好きな作家さんはいらっしゃいますか?
ヨコサカ: 憧れすぎてなれないと思っているのは”鳥山明”、“大友克洋”ですね。やっぱりめちゃくちゃ絵が上手くて高校生の時に”童夢”や”AKIRA”に衝撃を受けたのは今でもしっかり覚えています ね。あと”大友克洋”の作品で”気分はもう戦争”っていう作品があるんですけど、高校生当時の僕としては内容が難しすぎて面白いとは思えなかったんですけど表紙がめちゃくちゃカッコいいんですよ。そして何が驚くべきかというと、まさかの表紙を”大友克洋”が描いてないんですよ。”高荷義之” ていうプラモデルのボックスアートを描いていた人に外注していて。あんなに絵が上手い”大友克洋"がわざわざ外注して”高荷義之”に描いてもらっているのに食らっちゃって。それでこういう絵を描きたいなと思って描いたのが近年僕が制作し続けいてるボックスアートのシリーズなんですよ。 なので憧れるのは80年代や90年代に活躍された漫画家さんが多いですね。
原作: 矢作俊彦・作画:大友克洋の”気分はもう戦争”。表紙のみ高荷義之によるアートワーク。
TEXMEXのエントランスに飾られていたヨコサカさんの最初のボックスアート作品。
ーでは最後に今後挑戦したいことを教えてください。
ヨコサカ: “ナイキ”のスニーカーが大好きなのでいつかコラボできたらなと思っています。”エアマックス”が流行した時からすごく好きになってそれから今まですっかりナイキ党なんですよ。今回の展示でも新たにスニーカーを新調して在廊していました。オシャレな人はニューバランスを履いてるイメージがあるんですけど、僕にとってはナイキが一番かっこよくて。”ナイキ”からオファーをもらえるように引き続き頑張っていきたいと思います。
Tシャツ (リリバース) / ペインターパンツ (スミス) ¥17,600 / スニーカー (ナイキ)
ヨコサカ タツヤ @yokosakatatsuya
アーティスト
1981年生まれ、群馬県出身。現在は東京を拠点に活動。
セル画の手法にインスピレーションを受け、キャンバスの背景の上に透明フィルムに描いた絵を重 ねた作品を制作。
2021年 「東京モータープール1.5」にて発表する。 自身の原体験からなるモチーフを題材に、没入感のある表現に挑戦し続けている。
ヨコサカ タツヤHP https://yokosakapro.jp/index.html