ERな人 VOL.27 OKI KENICHI (アーティスト)

 photo, text, edit by NAOKI KUZE

 

1906に創業したアメリカンワークワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台 に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛さ れ続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった 現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。


ーアーティストとして活動されたのいつ頃からでしょうか?

OKI KENICHI (以下OKI): アーティストとして活動を始めたのは2011年ですね。初めて絵が売れた のをきっかけに、生業として絵を描いていくことを決心して画家と名乗るようになりました。実は元々僕は自分が画家になれるとは思っていなくて、今みたいにSNSがなかった時代なので画家っていうものになる道筋が見えなかったんですよね。どうやって画家になるのかもわからないし、自分は画家になれないだろうと思っていたので普通に就職したんですよ。なのでそれまでは 絵は趣味としてずっと描いていました。

 

ーお仕事の合間に絵を描かれていたと思うのですがどれくらいの頻度で描かれていたんですか?

OKI: 仕事終わりとか、休みの日は絶対描いていたので仕事以外の時間はずっと絵を描いてました ね。SNSがなかったので作品は描くけど発表するでもなく気に入ったものが描けたら部屋に飾ったりして過ごしていました。ただただ絵を描くのが楽しかったんですよね。フォークリフトに乗る仕事をしていたので、仕事中も「次の休みはどんな絵を描こうかな?」とか「スプレーで絵を描いたらどうなるかな?」とか「スプレーでかっこいい絵を描くにはどうすれば良いかな?」みたいな感じでずっと考えながらフォークリフトに乗ってました()。絵は僕にとって最高の遊びだっ たんですよ。作品が出来るのが楽しいっていうよりは、とにかく色々な描き方を試しているのが楽しかったんです。

ー活動前からアーティストとしての片鱗が剥き出しですね(笑)。ではどのようにして趣味だった絵を販売することになったのでしょうか?

OKI: もうなくなってしまったのですが福岡に当時通っていたセレクトショップがありまして、そこの店長さんが僕の家に遊びに来た時に、僕の描いた作品を観てくれて、「めっちゃ良い!」って言ってくださって。すると「ウチの店で売ってみようよ」って提案してくださったんですよ。それで2作品を出させてもらったら1ヶ月もしないうちに2作品とも売れちゃったんです。それで追加して、また売れてって段階でお店で個展をさせていただけることになって。そのタイミングで思い切ってフォークリフトから降りてって感じですね。全然甘かったですけどね(苦笑)

今回お邪魔したOKIさんの住居兼作業場。8月に越してきたばかりなので部屋が綺麗すぎるとのことで、 これから作業を進めることでどんどん物で溢れていくらしい。

 

 

小学生の頃によく模写をしていたという”ドラゴンボール"のクリリンと鳥山明先生のフィギュアが飾られている。

 

ーアーティスト活動は順調ではなかったのですか?

OKI: 1回目の展示って、知り合いとか家族とか来てくれるので、まあ売れるんですよ。でも2回目からの展示は実力で勝負していかないといけないんですけど、そこからはなかなか作品が売れな くて。仕事は辞めたけどバイトはしないといけない状態で5年ぐらい頑張ったのかな?それでつい にバイトも辞めることができて絵だけで食べていけるようになったのが35歳ぐらいの時ですね。 本当にそこまで行くのが大変でした。「(仕事を辞めて)甘かった~!」「(仕事を辞めるの)早まった~!」って何度も思いましたしね()。でも仕事やバイトは逃げ道でもあったので、辞めてなけれ ばもっとヤバかったのかなと思っています。

 

 

学生時代は音楽活動をしていたことも。

 

ー絵を描くことだけで生活できる状況で一番楽しいことはなんですか?

OKI: やっぱり絵を描ける時間が本当に幸せで楽しいっていう感覚が未だ変わらずなので、絵を中心に生活できている事が何にも変え難いですね。あとはマインドセットの部分なんですけど、初めて展示させてもらった時の作風と、今の作風って違うんですけど、アーティストとして活動していくにあたって、アーティストとして認知され始めた時の作風で勝負し続けるか、また別で新しく描きたいもの・試してみたいものを作品にしていくのが良いか「どっちが良いんだろう?」って葛 藤した時もあったんです。でも文字の作品を発表した時から、自分が描きたいものを抑え込んで求 められるものを描いているのがイラストレーター的な働き方だなと思って、自分が描きたいもの を描いて「これが良いでしょ」ってお客さんに提案できる人がアーティストだって思うようになって、そこから自分が過去にどんな絵を描いていたとか拘らなくなってからますます絵を描くことが楽しくなりました。

ーOKIさんは長らく拠点が福岡で九州地方をメインに活動をされていましたが、8月についに上京されました。拠点を移そうと思ったきっかけなど教えてください。

OKI: 40歳になった節目のタイミングで自身の10年後の”50歳になった自分を想像してみたんです よね。そうすると10年後もこのまま福岡で活動をしていたら絵を描き続けることが出来ていないんじゃないかって思ってしまって。コロナもあって地方に目を向けられていたのが、コロナも落ち着いてきてまた関東に戻ってきているような感覚がなんとなくあったんです。それで福岡に居続けてもダメなのかなという想いがフツフツと湧いてきて。本当は海外に行ってしまいたいけど、このご時世で海外に行く不安もあったので、一度東京を経由してみようと思ったんです。大好きな絵を描き続けるためにも行くしかないっていうマインドになり福岡を出る決心をしたんです。福岡は本当に大好きな良い街なので、出来れば離れたくなかったですが、「絵を描き続けるためには...!」っていう感じです。

ー実際に出て来られて気分はいかがでしょうか?

OKI: いや、もう「来ちゃったしやるしかない!」って感じですね()。居住はもちろんなんですけど、作業場としても機能させられる物件を頑張って探してここに決めたんですけど、今までこんなにシームレスに生活と絵を描くことを可能にする空間に住んだ事がなかったので、今まで以上に絵と向き合える環境を作ることが出来て良かったです。

 

キャップ (サイド パイ) / Tシャツ (古着) / ペインターパンツ (スミス) ¥19800

 

ー今後チャレンジしたいことを教えてください。

OKI: 立体物の作品を作ってみたいなと思っています。街のパブリックアートをずっと作らせてもらいたいなと思っていて。ずっと福岡にいた時から福岡市の方に言い続けていたんですがまだ実現していないです()。場所に限らず人々の待ち合わせ場所になるような大きなアートはいつか作れればなと思っているので必ず実現させたいですね。あとは東京の次の目標になるんですけど、最終的にニューヨークに行きたいと思っています。僕は過去に3ヶ月間ニューヨークに住んでいたことがあるんですけど、その時は街を歩いているだけで目に入ってくる物や色など、受ける刺激がとても多くて、そこから家に帰って描く絵がすごく好きなんですよね。日本にいる時よりも創作意欲が沸いてくるんですよ。それに僕は美大に通って来なかったので、そのコンプレックスを埋めるべく世界で1番か2番の芸術の街でアートの勉強をしたいんです。東京で活動することでまたニューヨークではない場所に行きたいと思うようになるかもしれませんが今のところはニューヨークを拠点に移すのが目標です。そして何より大好きな絵をずっと描き続けられるように楽しみながら頑張っていきたいです。

 

 

 

 

 

 

OKI KENICHI @okiiiiiiiiii

アーティスト

国内外で、人物を変形させることで思考を表現した抽象画、アルファベットを独自の形に変形さ せた文字作品、またはその2つを掛け合わせた作品をベースに、立体作品やインスタレーション 作品なども発表している。また、アパレルブランドやミュージシャンとのコラボレーションアイテ ムのデザインも多数手掛ける。 長年福岡を拠点に活動していたが、20238月より活動拠点を東京に移す。

OKI KENICHI オンラインストア https://okikenichi.net

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