ERな人 VOL.18 シュンサク(スタイリスト)
ERな人 VOL.18 シュンサク (スタイリスト)
photo, text, edit by NAOKI KUZE
1906に創業したアメリカンワークワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)。1970年台 に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛さ れ続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった 現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人”達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。
ーシュンサクさんは大学在学中にスタイリストのキャリアをスタートされたとのことですが、そ のきっかけとはなんだったのでしょうか?
シュンサク: 僕が大学1年生の頃なんですけど、中学生の頃から憧れていた編集者がいまして、そ の方が編集長をされている雑誌の編集アシスタントを募集されていて、そこで直接「編集アシスタ ントやりたいです!お願いします!」っていう感じで直接お会いして編集アシスタントにしていた だいたのがファッション業界の入り口なんですけど、そこから紆余曲折ありまして。
ーそこではまだスタイリストではないのですね。
シュンサク: そうなんです。紆余曲折の部分のお話すると、編集アシスタントになったものの、そ もそも編集経験がゼロだったこともあってなかなか思うように編集アシスタントとして機能でき ない日々が続きました。そんな時に編集長から「自分でスタイリングして”作品撮り”とかしてみれ ば?」とアドバイスをいただきまして、そこで初めて自身でスタイリングした”作品撮り”に没頭し ました。そうすると編集長が「その”作品撮り”えーやん」っと言ってくださったんです。そしてそ の”作品撮り”の一つをそのまま雑誌に掲載したいと言ってくださって、ありがたいことに本当に紙 面で使ってくださいました。スタイリストとしてクレジットされたのもそれが初めてでした。こ れが記念すべきスタイリストとして雑誌デビューになった出来事で、僕のスタイリストとしての ルーツとなるエピソードです。
ー一般的なスタイリストだと誰かに弟子入りしたりすることが多いと思いますが、とても珍しい デビューの仕方だったんですね。しかも大学在学中だというから驚きです。
シュンサク: 大学3年生の頃にはクライアントワークもさせていただけるようになっていきまし た。ただ「自分がこの先本当にファッションでやっていけるのか?」という感じで、自問自答し ながらスタイリスト活動をしていたので就職するという選択肢も捨て切れずたくさん悩んだので すが、大学卒業前にはメンズ誌を中心に活動の幅も広がっていたので、本格的にスタイリストとし ての道を歩もうと決心して今に至ります。
ー最近はクライアントワークのほか、以前にも増して”作品撮り”をされているそうですね。
シュンサク: はい。めちゃくちゃ”作品撮り”してますね。その理由は僕、”レッチリ”(レッドホット チリペッパーズ)が好きなんですけど、今年の2月に来日していた”レッチリ”のライブに行って心底 感動したんです。バンドメンバーのほとんどが60歳を超えてもなおパフォーマンスも肉体的にもめ ちゃくちゃパワフルだし、マーチャンダイズも全部カッコ良かったし、全てがカッコ良いんですよ ね。全てがカッコ良いっていうのは、たぶん物事の取り組みに対して一個一個の積み重ねがなせ る業なんだろうなと思いまして。その日からとてつもなく創作意欲が湧いてきて”作品撮り”を新た な気持ちで取り組むようになったんですよね。コロナ前までは気になるDJやアーティストがいた らすぐに現場に足を運んで観に行くほどフットワークが軽かったんですけど、ここ三年ぐらいコ ロナの影響と、大学時代から遊んでいた友人はいわゆる一般企業に就職をしているので生活リズ ムが合わなくなってしまったことが重なり、その友人たちと自分のライフスタイルを比べてし まって遊びに行くことから逃げるようになってしまったんです。でも僕は”レッチリ”のライブを観 たことで、外に出てちゃんと遊ばないといけない職種の人間だなと気付かされて。遊びから逃げ ていたというより時代から逃げていたのかもしれないです。
ストライプボタンダウンシャツ (ヴィンテージ) / デニムペインターパンツ (スミス) ¥17,600 / スニーカー(ヴァンズ)
ーどうしてそのように感じられたのですか?
シュンサク: レッチリのライブ以降またクラブやDJ Barなど音が鳴る箱に出入りしているんですけ ど、このコロナ禍の3年ぐらいでDJやアーティストが活動の制限を余儀なくされてアウトプットが できない中で、そんな状況下にも関わらず進化していたんですよね。新しいコミュニティもできて いるし、新しいカルチャーが形成されているのを肌で感じたんです。僕の友人のDJもコロナ禍に 入って東京から京都に移住して、京都の優秀な若手DJをフックアップして東京に持っていくって いう新たなた活動をしていたりして。周りの友人が本当に泣きながらコロナ禍をサバイヴしている 姿を近くで見ていたのに僕は見て見ぬふりするではないんですが、何も出来ずにいたんです。だか らその時期は友人からオススメされたアーティストがいても聴く気にならなかったし、観に行か なかったし、昔の曲ばっかり聴いて逃げてたんですよ。でもレッチリのライブを観てから僕自身 も昔みたいに、いや、昔以上に行動的になったおかげで素晴らしいアーティストとも出会うこと が出来る機会が増えてとても刺激的なんです。最近だとラッパーの”ジュマディバ”さんとかめちゃ くちゃ聴いていて”作品撮り”のモデルとしてオファーしたりもしています。僕は今年27歳なんです けど同世代や下の世代は本当に頑張っていると思うし再びカルチャーに触れたことで僕は「こい つらをスタイリングしたい!」って初めて本気で思うようになって。僕はあんまり自分の気持ち が前に出ないタイプなんですけど、今までは”自分の表現”や”自分のスタイリング”に関してモデル はそこまで気にしなかったのに、今は「この人がスタイリングしたい」って強く想って作品に落とし込んでいますね。
大崎のスターバックスでお茶しながら作業を行うことが多いシュンサクさん。
ブレインデッド×グリーンデイのトートバッグが最近のお気に入り。 一般的にはスタイリストはリースバッグを使用することが多いが、シュンサクさんはスタイリングの仕事ではスーツケースを昔から愛 用している。
ーとてつもない大きなマインドセットが起こったんですね。
シュンサク: スタイリングにも現れるようになってきていて、今はスタイリングに日本人たる表現 を意識して取り入れたりしますね。言語化は難しいですが。
ー最後にこれからの展望を聞かせてください。
シュンサク: ライフワークとして”作品撮り”は続けていきたいです。現在の”作品撮り”は毎回フォト グラファーを変えているんですけど、それもレッドブルの企画でラッパーがマイクリレーす る”RASEN”にめちゃくちゃ食らって。普段あまり交わらないタイプのラッパーたちが3人から4人 が一同に介しマイクリレーするんですけど、化学変化がすごくてとても感動したんです。まさに編 集ってこういうことだなって、スタイリングだなって思ったんです。ブッキングすらスタイリング だったんだなって思って。だから僕の”作品撮り”は僕が気になるアーティストと、僕が選ぶフォト グラファーと、スタイリングする僕がどう作用するのか。その”妙”を楽しんでいきたいです。そし ていずれ本に出来たら良いなとは思っていますが、先の仕事を得るための”作品撮り”ではなくて、 僕が心からやりたいから表現する”作品撮り”っていうところが今は根幹にあるのでその気持ちを大 切にライフワークとして続けていきたいです。
シュンサク @baggiojt
スタイリスト 1996年生まれ、埼玉県出身。大学在学中の2017年からスタイリストとして活動をスタート。現在 はメンズファッション誌を中心に活躍する若手スタイリスト。