ERな人 VOL.42 Ryusei (モデル)

ERな人 VOL.42 Ryusei  (モデル)
photo, text, edit by NAOKI KUZE

 

1906に創業したアメリカンワークブランド”SMITH’S AMERICAN”(以下スミス)1970年台に日本で流通するとリアルワーカーからアメカジフリークまで、ジャンルレスに様々な人々に愛され続けてきたブランドです。このウェブマガジン「ERな人」では、そんなスミスを身にまとった現代で様々な役割を持ち活躍する”ERな人達の仕事やライフスタイルをご紹介していきます。

 

ーモデルを目指したきっかけは?

Ryusei : 仙台の教育大学に通っていたんですけど、僕は古着が大好きでのちに東京でアルバイトをすることになる系列店の古着屋に良く通っていたんです。その古着屋は古着以外にブランド物の仕入れもやっていて、”ANREAL AGE””PHINGERIN””WEYEP”などのドメスティックブランドの仕入れもやっていたんですよ。古着にしか興味が無かった僕はそこで初めてブランドっていうもの をリアルに感じることができたんです。そうするとそのブランドのルックとかも見るようになるんですけど、「こういう世界もあるんだ」って自分の中で新たなファッションの一面を知ることになるんです。大学で教師になるために勉強をしていたわけなんですけど、心のどこかではファッションに携わる仕事に就きたいなと思っていたんです。でも販売員になりたいとは思っていなくて。あとは身長が高いので同級生の友達からは日頃から「モデルやれよ~」なんて言われていたこともあって実際に魔に受けて「モデルやってみようかな」って思ったのがモデルを目指すきっかけですね。ちょうど就活の時だったので2122歳の頃です。

ー「モデルになろう」と決心されてからどのようなアクションを起こされたんですか?

Ryusei: 大学卒業のタイミングでモデルになるならばということでまずは東京に出てきました。仙台にいた時の知り合いの方から事務所を紹介してもらったりしたんですけど、東京に出たての僕はモデルになりたい気持ちだけが先行してしまっていてモデルになるための準備が全くできていなかったんです。モデルになるには初めに自身の写真、ポートフォリオが必要になるんですけど僕は 全然その用意が無かったので、インスタでひたすらフォトグラファーとして活動をされている方にDMを送って「写真撮ってください!」ってメッセージを送って写真集めをしていましたね。当時 はSNSのフォロワーも多くなかったので、フォトグラファーの方にとってうま味のある撮影に僕自身がなり得なかったこともあってモデル事務所に見せることができるレベルの写真を揃えるのに苦戦してしまいました。それで結局事務所に入るまでに半年ぐらいは掛かったのを記憶してます。

 

 

ーちなみにモデルとしての初仕事はどのような内容でしたか?

Ryusei: 広告のお仕事で、メインは女優さんでその女優さんの脇にいるエキストラのような役柄で した。僕がイメージしていたモデルのお仕事とはちょっと違うなと感じながらも、モヤモヤとほろ 苦い気持ちで撮影に臨んでいました。

ー苦労して念願の事務所にも入られたようですが、現在はフリーランスで活動されています。フリーランスとして活動をしていこうと思われた経緯を教えてください。

Ryusei: 初めに所属させていただいた事務所が広告系に強い事務所だったんですよ。僕が目指していたのはファッションモデルで、ランウェイやブランドルックなどの仕事を志望したこともあって 事務所の方向性と自身の方向性との不一致には気づいてはいたんですけど、3年間ぐらいはその中でもできることを頑張って取り組んでいたんです。でもコロナが流行ってしまったタイミングで事 務所の仕事も全部止まったタイミングがあって。その時にやっぱり自分が目指しているような ファッションモデルになるためには海外に行かないとダメだよなと思って。それで海外から来たモ デルが所属する別の事務所に移籍しました。そうすればもっと海外での仕事のパイプを築けると思ったんです。でも新しい事務所ではコロナ禍のタイミングでは海外の仕事に出ることを良しとし てくれなくて国内の仕事しかアサインしてもらえなかったんです。それで新しい事務所に行っても 海外に行けないのであれば自己責任で行くしかないなってことで、結局事務所を退所してフリーランスになりました。

 

 

ーフリーランスモデルとして初めて乗り込んだ国はどちらですか?

Ryusei: フランス・パリとイタリア・ミラノですね。当時26歳で、何なら人生で初めての海外でした()。初渡航の目標としてはパリとミラノそれぞれのモデル事務所に所属し、尚且つそれぞれの 国でランウェイを歩いて帰ってくるっていうことを目標に掲げて挑戦しました。結果としては目標は達成できませんでしたが。ミラノでは事務所に入ることが出来たんですけど、仕事に繋げるところまではいきませんでした。パリの方では事務所に入ることもできませんでした。でも滞在先のホテルで腐っていても仕方がないのでできることはないかなと思って、パリではパリコレに向けたモデルのキャスティングのシーズンだったので、とりあえず朝早めに街中に出てみてモデルっぽい人たちの後ろに付いて行ったんですよ。そうしたらやっぱりモデルのキャスティング会場に辿り着くことが出来て。そうとなったら一か八かで乗り込んでみるっていうのを何回も繰り返しました()。ただ、パリのルールというのがあって、パリのモデル事務所に所属をしていないと基本的にはファッションウィークは歩くことが難しいっていうのがわかってオーディションは通らなかったんですよ。それでも何か出演する機会はあるだろうと思って諦めてはいなかったんです。それでとあるカフェで休憩していたらヴィンテージのかっこいいTシャツを着ているパリのお兄さんがいたので、「かっこいいTシャツ着てるね!僕は日本でヴィンテージショップでアルバイトしてたからヴィンテージにちょっと詳しいんだ!」って声を掛けた彼は、”GOOD MORNING KIETH”っ ていうパリを拠点に70年代テイストのブランドをやっているデザイナーの友人だったんです。それで意気投合したこともあって彼が後からデザイナーのジュリアンに連絡してくれて、LOOKの撮影に参加させてもらうことができました。初の海外はうまくいったこともあったけどまだまだ課題が残る結果でした。

 

ーなるほど。初めての海外での挑戦は収穫はあったものの、Ryuseiさんの中では納得のいく結果に繋げることは出来なかったと。

Ryusei: はい。とても悔しい思いをしたので次のシーズンも絶対にパリとミラノに行くことは心に決めて次の渡航の準備を進めました。2シーズン目はSNSからDMで声を掛けてくれてい た”VALETTE STUDIO”というブランドのランウェイを歩くことが出来ました。その後はアクションを起こせば何か起こるだろうという根拠のない確信があったので前回と同じ方法でモデルらしき人を見つけたら、後ろからヒョコヒョコ付いて歩いていたんですけど、今回は”RICK OWENS” のオーディション会場まで辿り着いちゃったんですよね()。それでしれっと会場に入ってみて待機していたら担当者から「ちょっと歩いてみて」って言われたんです。「まぁどうせダメだろう な」って思いながら歩いたら、オーディションが終わった時に担当者から「キミとキミとキミとキミは残ってあとは帰っていいよ」って言われたんですけど、まさかの残っての中に僕も入ってたんです()。その後フィッティングとショーとショー前日のスケジュールを確認されたので僕はもちろん「空いてます。」と返答しました。すると「また連絡する」と言われて半信半疑のままその日は返されたんですけど、後日ちゃんとブランドから連絡が来ました。そうしてフィティングチェックなどでも落ちることはなく無事に”RICK OWENS”のランウェイを歩くことができ2シーズン目のパリを終えることができました。

 

 

 

ー1シーズン目と比べると大躍進ですね。
Ryusei: 1シーズン目と比べると満足のいく仕事は出来たんですけど、パリの事務所には2シーズン目も結局入ることは叶わなかったのでまだ課題が残る結果でした。悔しかったですね。

ー2023年は上海でも活動されていたようですね。なぜ上海に?

Ryusei: “RICK OWENS”のランウェイを歩いた後に僕のSNSを上海のモデル事務所の方がチェックしてくれていたみたいで、「中国の市場は興味があるか?」ってSNSDMが届いたんですよ。ファッションモデルができるのであればどこへでも行きたいので「もちろん興味あるよ」と返信したんですよ。すると「夏に上海に来て欲しい」と言われ、それで4ヶ月ほど上海で活動させてもらえたんですよ。ただ日本の汚染処理水問題の影響で反日ムードが高まってしまっているタイミン グでの渡航だったので、僕も上海のモデル事務所も想定よりは仕事がしづらい情勢になってしまってはいたんですけど、それでも8つほどのブランドとお仕事をすることが出来たので、1シーズンとしては手応えを感じることができるモデルの仕事をすることができました。

 

 

ー最後に一歩ずつ目標をクリアしてきたRyuseiさんが、今後ファッションモデルとして挑戦したいことを教えてください。

Ryusei: 僕は元々高身長でガリガリだった体型にコンプレックスを持っていた人間なんです。でも エディ・スリマンが”CELINE”のクリエイティブディレクターに就任した時に、僕は大学の時に軽音サークルに所属していたバンドマンでドラムを叩いていたんですけど、エディが表現するロックとファッションが密接に絡み合った世界観が好きで、エディのクリエイションを見ていると「ガリガリでも良いんだ!」って勇気をもらえたんです。そういった想いが海外を目指すきっかけの一つになっているので、今だったら”CELINE”になるんですけどいつかエディ・スリマンがクリエイティブディレクターを務めるブランドでランウェイを歩きたいです。だからそれまではパリを諦めずに挑戦し続けたいと思っています。

LES HALLES PAINTER / RED

 

 

Ryusei @doragon_star
モデル
青森県三沢市出身。 学生時は宮城教育大学に在学し、幼児教育、初等教育、特別支援教育(知的、肢体不自由・病弱、 聴覚)の教員第一種免許を取得するも、教師ではなくモデルを目指し、2017年に上京(両親は腰を抜かす)
そこから国内のいくつかモデル事務所を転々とするものの、パリとミラノでの活動を目標とし 2022年にフリーランスモデルとなる。同年夏に、単身で初のパリとミラノのファッションウィー クに挑戦し、苦くもミラノのモデル事務所に所属。
翌年
20231月、Rick Owens 2023-24AWの公式スケジュールParis Fashion Weekにて初の海外 Fashion Showデビュー。
20239月より上海のModelight Chinaと契約し上海でのモデル活動をスタートする。 上海ではNULLUSZR INTERNATINALMASONPRINCEなどのLookBookCampaignなどの 他、上海Fashion Week公式スケジュール、SEMIRを歩き上海のFashion Showもデビューする。
 
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